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2015年09月17日
せんせい、にほんごがはなせなくて ごめんね
なんのために人は外国語を勉強するのか?
例えば、日本では義務教育で英語を勉強する。
なんのために?
「将来のために」
と多くの人が答えるだろう。
じゃ、外国人は何のために日本語を勉強するのか?
学習者によって様々だが、ほとんどが将来、日本企業で働くため、
日本で留学したいから、日本へ出稼ぎへ行きたいから・・・
などなど、日本語を勉強するのには実益を伴う目的がある。
しかし、JICAボランティアの派遣される国の多くは、日本人の少ない、
日本企業の少ない国なのが現状である。
つまり、日本語を勉強してもあまり意味のない国々である。
例えばニカラグアは国内のニカラグア人約600万人に対し
在留邦人 約150人
日本企業 1
在日ニカラグア人 約90人
この数字だけ見ても、日本語を学んだとしても彼らに実益が少ないことは
明らかだ。
でもだからと言ってJICAボランティアが派遣されることは
決して無駄ではない。
日本から遠く離れた国で生活する彼らにとって、
アジアはテレビや本の中の別世界。
それを学ぶ機会があることで、彼らの世界が広がり、選択肢が増える。
彼らの人生に出会うはずのなかった異世界の扉が日本のODAによって
目の前に現れる。
開けてみると、なんだ?この文字!?面白い発音。
あ!この言葉、私の国の言葉と同じ音なのに、そんな意味になるの?
ぷぷぷ
ちょんまげ、忍者、なんじゃそりゃ?
「いってらっしゃい、お帰りなさい」「もったいない」「どっこいしょ」
そんな言葉、この国では言わないな〜
ふ〜ん、日本人ってそんな風に考えるんだ?私たちと違うな〜
世界って広いんだな〜
日本・・・行ってみたいなぁ・・・。
そうやって彼らの世界が広がっていく。
しかし、それは結果論。
理想的ないいところだけを切り取っただけにすぎない。
現実はもっと悲惨だ。
朝早くから各々の大学へ通学もしくは通勤し、
それを終えて夜間の日本語授業に出向く。
朝7時に家を出て、日本語の授業を終えて
家に着くのは夜9時前だ。
毎日出席するだけでも大変。それなのに先生は、
やれ宿題やってこい、明日はプレゼンだから準備してこい、
明日はテストだから勉強してこい、と強制する。
睡眠時間を削って宿題、プレゼン準備、テスト勉強をするしかない。
今日くらいは休もう。
そう思うことがあっても仕方がない。
教師は教師で、日本語を教えるために家族や友人と離れ、海外で生活し、
頼れる人も少ない中、目の前の学習者のためにと
毎日授業準備にとりかかる。
毎日毎日「学習者のために」と時間を費やす。
しかし、その想いも虚しく、学習者らは遅刻・欠席あたりまえ。
30分過ぎても1人しか現れないことなんてざら。
いざ授業が始まっても、話せない。
昨日教えたことなのに・・・。
ただの復習なのに昨日教えたことをまた繰り返す。全然進まない。
えーー、昨日も教えたじゃん。だーかーらー・・・。
学生「先生、cjくぁ109うgvっわ’k2えおq」
ん??どういう意味?ごめん、何が言いたいのか全然分からない。
学生「えっと、だから・・・。すみません・・・。」
学習者とコミュニケーションがとれない、イライラ・・・。
言語はある一定の期間を過ぎると成長スピードが止まる。
そこから伸びる学習者と全く変化しない学習者と二つに分かれ、
その差は開いていくばかりだ。
少しサボるとあっという間に先生の言っていることが
全く分からなくなってしまう。
学生 「先生、昨日、私、行きます、レストラン、おいしい」
教師 「昨日、レストランへ行きました。おいしかったです。」
「 これ、2レベルの内容だよ!もう8レベルだよ!」
学生 「あぁ・・。すみません・・・。」
この1年、何をしてきたのだろう。
そしてお互い、ふと考える。
「私は何のために日本語を教えて(学んで)いるのだろう」
先日、隣国で中米カリブ日本語教育セミナーが開催された。
今年はボランティア派遣50周年の節目ということもあり、
日本から招聘講師もいらっしゃり講演を行ってくださった。
その講演の中であるボランティアの経験が紹介された。
毎日授業をしても一向に話せない学習者達。
2年の派遣期間終了を間近に迫り、
「果たしてこの2年で私はいったい何の役に立ったのだろう」
と考えるボランティア
そんなボランティア宛への学習者からの手紙
「せんせい、ごめんなさい。わたしは にほんごをはなしません。
でも、しあわせです。ありがとう」
こんな愛のこもった素敵な日本語が書けるのに、
日本語が話せないとどうして責められよう?
こんな美しい言葉を一人の日本人に贈ることができるじゃないか。
私は自分の価値観をただ押し付けていただけ。
学習者達はいつだって必死だった。怠惰なんかどこにもない。
できる学習者を褒める。
(どうして彼女はできるのに、あなたはできないの?)
できないレッテルが貼られる。
朝早くから仕事をし、仕事を終えて疲れて授業に参加する。
能力には個人差がある。
授業だけで話せるようになる学習者と、
話せるようになるために何時間も時間を費やさなければならない学習者。
はぁ、今日も先生の話分からなかった。よし、復習しよう。。。
でも、眠い。。でも頑張らなきゃ。自分で決めたことだ。
はぁ、今日も分からなかった。。宿題しなきゃ。。眠い。。
はぁ、全然話せるようにならないな。。今日は・・・眠ろう。
「せんせい、、えっと・・・すみません。」
そんな学習者の姿を思い返すと、涙が溢れ出る。
「すみません」と言わせていたのは私だ。
ニカラグアに戻って、また再び授業に立つ。
「せんせい、、えっと・・・すみません。」
やっぱり彼女は言う。
暗い顔。
「もう、いいんだよ。話せなくてもいい、
みんなと日本語で楽しい時間を過ごそう。それだけでいいの。」
彼女の目に涙が溢れる。
やっぱり私は彼女を追い詰めていた。
ニカラグアに来て1年半。
私は生活に必要でスペイン語を学んでいる。
それでも未だにコミュニケーションがうまくいかず辛い。
「もう1年半もここで生活していて、まだそんなことも話せないのか」
きっと、そう思われているだろう、と考えると辛い。
それでも生活に必要だから頑張らなければならない。
でも、彼らは違う。
話せるようにならなければならないわけじゃない。
それなのに、私は思う。
「1年以上勉強してきて、まだそれだけしか話せないのか」
「本当に日本語を勉強する気があるのか」
私以上に努力しているのに。
「話せなくてもいいんだよ」
その言葉で救われる学習者達がいる。
彼らにとって、日本語を使うのはこのクラスの中だけ。
この一瞬だけ。
2年の学習期間を終えても、
その期間内に学んだことを話せないかもしれない。
そして人生の中でたった僅かな2年という瞬間に覚えた言葉なんて
すぐに記憶から消えるのかもしれない。
ただ、日本語を通して出会った仲間と先生とのやりとりを思い出し、
「楽しかったなぁ〜」と 暖かい記憶の1ページを開く。
それが彼らにとっての日本であり、日本語となる。
関東で大洪水というニュースが流れると、
「先生、大丈夫かな?」と、心配する。
日本で災害があれば、自分の国のことのように心を傷める。
日本語は話せないけど、
日本語を通して出会った人々との思い出があるから。
日本から遠く離れた国で日本語を学ぶ人々
日本から遠く離れた国で日本を愛する人々
話せるようになることだけが目的じゃない。
日本語を使って楽しい時間を共有して、
彼らの人生に少しだけお邪魔させてもらう。
そんな外国語学習の在り方がここにある。
ここにしかない、ここでしかできない日本語学習。
もちろん、全員がそうではない。
中には日本へ留学して、この国では学べない専門的な医学を、
エンジニアリングを、建築を学ぼうという
強い動機を持っている学習者もいる。
ただ、教師が「話せるようになること」を
学習者に押し付けるのだけはやめよう。
世界の小さな島、話せるようになっても実益のない言語を
学ぼうと思っただけでありがたい
その感謝を決して忘れずに。
任期の終わりが見え、自戒の記事でした。
(写真:学習者Iのテスト。悲しくなるようなことテストに書くなよ〜)
例えば、日本では義務教育で英語を勉強する。
なんのために?
「将来のために」
と多くの人が答えるだろう。
じゃ、外国人は何のために日本語を勉強するのか?
学習者によって様々だが、ほとんどが将来、日本企業で働くため、
日本で留学したいから、日本へ出稼ぎへ行きたいから・・・
などなど、日本語を勉強するのには実益を伴う目的がある。
しかし、JICAボランティアの派遣される国の多くは、日本人の少ない、
日本企業の少ない国なのが現状である。
つまり、日本語を勉強してもあまり意味のない国々である。
例えばニカラグアは国内のニカラグア人約600万人に対し
在留邦人 約150人
日本企業 1
在日ニカラグア人 約90人
この数字だけ見ても、日本語を学んだとしても彼らに実益が少ないことは
明らかだ。
でもだからと言ってJICAボランティアが派遣されることは
決して無駄ではない。
日本から遠く離れた国で生活する彼らにとって、
アジアはテレビや本の中の別世界。
それを学ぶ機会があることで、彼らの世界が広がり、選択肢が増える。
彼らの人生に出会うはずのなかった異世界の扉が日本のODAによって
目の前に現れる。
開けてみると、なんだ?この文字!?面白い発音。
あ!この言葉、私の国の言葉と同じ音なのに、そんな意味になるの?
ぷぷぷ
ちょんまげ、忍者、なんじゃそりゃ?
「いってらっしゃい、お帰りなさい」「もったいない」「どっこいしょ」
そんな言葉、この国では言わないな〜
ふ〜ん、日本人ってそんな風に考えるんだ?私たちと違うな〜
世界って広いんだな〜
日本・・・行ってみたいなぁ・・・。
そうやって彼らの世界が広がっていく。
しかし、それは結果論。
理想的ないいところだけを切り取っただけにすぎない。
現実はもっと悲惨だ。
朝早くから各々の大学へ通学もしくは通勤し、
それを終えて夜間の日本語授業に出向く。
朝7時に家を出て、日本語の授業を終えて
家に着くのは夜9時前だ。
毎日出席するだけでも大変。それなのに先生は、
やれ宿題やってこい、明日はプレゼンだから準備してこい、
明日はテストだから勉強してこい、と強制する。
睡眠時間を削って宿題、プレゼン準備、テスト勉強をするしかない。
今日くらいは休もう。
そう思うことがあっても仕方がない。
教師は教師で、日本語を教えるために家族や友人と離れ、海外で生活し、
頼れる人も少ない中、目の前の学習者のためにと
毎日授業準備にとりかかる。
毎日毎日「学習者のために」と時間を費やす。
しかし、その想いも虚しく、学習者らは遅刻・欠席あたりまえ。
30分過ぎても1人しか現れないことなんてざら。
いざ授業が始まっても、話せない。
昨日教えたことなのに・・・。
ただの復習なのに昨日教えたことをまた繰り返す。全然進まない。
えーー、昨日も教えたじゃん。だーかーらー・・・。
学生「先生、cjくぁ109うgvっわ’k2えおq」
ん??どういう意味?ごめん、何が言いたいのか全然分からない。
学生「えっと、だから・・・。すみません・・・。」
学習者とコミュニケーションがとれない、イライラ・・・。
言語はある一定の期間を過ぎると成長スピードが止まる。
そこから伸びる学習者と全く変化しない学習者と二つに分かれ、
その差は開いていくばかりだ。
少しサボるとあっという間に先生の言っていることが
全く分からなくなってしまう。
学生 「先生、昨日、私、行きます、レストラン、おいしい」
教師 「昨日、レストランへ行きました。おいしかったです。」
「 これ、2レベルの内容だよ!もう8レベルだよ!」
学生 「あぁ・・。すみません・・・。」
この1年、何をしてきたのだろう。
そしてお互い、ふと考える。
「私は何のために日本語を教えて(学んで)いるのだろう」
先日、隣国で中米カリブ日本語教育セミナーが開催された。
今年はボランティア派遣50周年の節目ということもあり、
日本から招聘講師もいらっしゃり講演を行ってくださった。
その講演の中であるボランティアの経験が紹介された。
毎日授業をしても一向に話せない学習者達。
2年の派遣期間終了を間近に迫り、
「果たしてこの2年で私はいったい何の役に立ったのだろう」
と考えるボランティア
そんなボランティア宛への学習者からの手紙
「せんせい、ごめんなさい。わたしは にほんごをはなしません。
でも、しあわせです。ありがとう」
こんな愛のこもった素敵な日本語が書けるのに、
日本語が話せないとどうして責められよう?
こんな美しい言葉を一人の日本人に贈ることができるじゃないか。
私は自分の価値観をただ押し付けていただけ。
学習者達はいつだって必死だった。怠惰なんかどこにもない。
できる学習者を褒める。
(どうして彼女はできるのに、あなたはできないの?)
できないレッテルが貼られる。
朝早くから仕事をし、仕事を終えて疲れて授業に参加する。
能力には個人差がある。
授業だけで話せるようになる学習者と、
話せるようになるために何時間も時間を費やさなければならない学習者。
はぁ、今日も先生の話分からなかった。よし、復習しよう。。。
でも、眠い。。でも頑張らなきゃ。自分で決めたことだ。
はぁ、今日も分からなかった。。宿題しなきゃ。。眠い。。
はぁ、全然話せるようにならないな。。今日は・・・眠ろう。
「せんせい、、えっと・・・すみません。」
そんな学習者の姿を思い返すと、涙が溢れ出る。
「すみません」と言わせていたのは私だ。
ニカラグアに戻って、また再び授業に立つ。
「せんせい、、えっと・・・すみません。」
やっぱり彼女は言う。
暗い顔。
「もう、いいんだよ。話せなくてもいい、
みんなと日本語で楽しい時間を過ごそう。それだけでいいの。」
彼女の目に涙が溢れる。
やっぱり私は彼女を追い詰めていた。
ニカラグアに来て1年半。
私は生活に必要でスペイン語を学んでいる。
それでも未だにコミュニケーションがうまくいかず辛い。
「もう1年半もここで生活していて、まだそんなことも話せないのか」
きっと、そう思われているだろう、と考えると辛い。
それでも生活に必要だから頑張らなければならない。
でも、彼らは違う。
話せるようにならなければならないわけじゃない。
それなのに、私は思う。
「1年以上勉強してきて、まだそれだけしか話せないのか」
「本当に日本語を勉強する気があるのか」
私以上に努力しているのに。
「話せなくてもいいんだよ」
その言葉で救われる学習者達がいる。
彼らにとって、日本語を使うのはこのクラスの中だけ。
この一瞬だけ。
2年の学習期間を終えても、
その期間内に学んだことを話せないかもしれない。
そして人生の中でたった僅かな2年という瞬間に覚えた言葉なんて
すぐに記憶から消えるのかもしれない。
ただ、日本語を通して出会った仲間と先生とのやりとりを思い出し、
「楽しかったなぁ〜」と 暖かい記憶の1ページを開く。
それが彼らにとっての日本であり、日本語となる。
関東で大洪水というニュースが流れると、
「先生、大丈夫かな?」と、心配する。
日本で災害があれば、自分の国のことのように心を傷める。
日本語は話せないけど、
日本語を通して出会った人々との思い出があるから。
日本から遠く離れた国で日本語を学ぶ人々
日本から遠く離れた国で日本を愛する人々
話せるようになることだけが目的じゃない。
日本語を使って楽しい時間を共有して、
彼らの人生に少しだけお邪魔させてもらう。
そんな外国語学習の在り方がここにある。
ここにしかない、ここでしかできない日本語学習。
もちろん、全員がそうではない。
中には日本へ留学して、この国では学べない専門的な医学を、
エンジニアリングを、建築を学ぼうという
強い動機を持っている学習者もいる。
ただ、教師が「話せるようになること」を
学習者に押し付けるのだけはやめよう。
世界の小さな島、話せるようになっても実益のない言語を
学ぼうと思っただけでありがたい
その感謝を決して忘れずに。
任期の終わりが見え、自戒の記事でした。
(写真:学習者Iのテスト。悲しくなるようなことテストに書くなよ〜)
タグ :日本語教育
2015年06月03日
学生K:「日本語は美しい言語だと思う」
6月2日
学生達と初めて出会った日
全く日本語の話せない学生達との最初の教室は今でも覚えている。
「こんばんは」
と皆に挨拶をしても、日本語が分からないから誰も返事をしない。
¡Buenas noches!とスペイン語であいさつをしてようやく、先生が挨拶をしているということに気づく。
そんな学生達も日本語を勉強して1年。
今日は学生達とささやかな1年記念パーティをした。
正直、こういうパーティをすると私の財布から羽をはやしたお札が出ていくばかりだし、何より今月は経済危機。
学生達からパーティをしましょう!と誘われてもあまり乗り気じゃなかった。
それが、先週
突然の訪問者によって一転
私が教えている中米大学は日本語コースという学科があるのではなく、あくまでも一般を対象とした夜間講義
なので学生達は仕事を終えて、もしくは自身の専攻している授業を終えて、趣味として日本語の授業を受けにくる。
だから、中には仕事の都合や生活環境の変化によって途中でリタイヤしていく学生もいる。
最初16名で始まったこのクラスも、これまでで既に5人のリタイヤがいる。
2年間、この学生達と共に
という想いも虚しく、どうしようもない理由で学生達が去ってゆく。
こんなに悲しいことはない。
一人、またひとりと学生達が去ってゆく度に、どうしようもない切なさが襲う。
その去った5人の中で、家庭の事情でアイルランドに住むことになったCと、フランスでスペイン語の講師として短期滞在することになったAがいる。
先月、Cからfacebookを通して、ニカラグアにしばらく戻ることになったことを聞き、早速みんなでプチ旅行に行ってきた。
そして先週、Aが突然、私の事務所にやってきた。
A~~~~~~~‼‼‼‼‼
日本の文化にはこんなことないけど、あまりの嬉しさに思わずハグをしてしまった。
AともCとも付き合いは5か月程度
それでも、ニカラグアに来るとなり私のところにも訪ねてきてくれた。
学生達が去るのは悲しいけど、こんな風にまた私のもとにやってきてくれることが嬉しい。
こういう繋がり方があるのであれば、何も毎日一緒に日本語を勉強していなくても、いいのかな。
Aがニカラグアに帰ってきた。
Cも今、ニカラグアにいる。
そんじゃ、パーティやるしかないっしょ!!
ってことで、ぜんぜん乗り気じゃなかったのに、私から学生達に呼びかけ、財布をゆるゆるにほどき
から揚げ・コロッケ・おにぎりパーティを開催
財布をゆるめたところでこの程度(苦笑)
今回は2クラス合同で私の家に招き、数名の学生に手伝ってもらってみんなでワイワイ
今までは2クラス合同の催しをしても、結局クラスごとに分かれて、人数の多いクラスに圧倒されてもう一方のクラスは肩身の狭そうにしていたんだけど
今日はなんだか皆楽しそう
やってよかった。
その後のfacebookで学生Kのこんな投稿
学生K「日本語が大好きです。とてもきれいな言語だと思います」
これまで私も義務教育で英語を勉強し、大学でも英語を専攻してきた。
しかし、英語を「美しい」と思って勉強したことは一度もない。
スペイン語に関しては「美しい」と思うことがあるけど。
全く日本語を必要としないニカラグアの学生が「日本語が美しい」と思い、日本語を勉強してくれる
日本人として、こんな小さな国の、話せたところであまり需要のない言語を勉強してくれることだけで学生達には感謝なのに
日本語を美しいと思ってくれる
日本人としてこんな幸せはない。
そして日本語を誇らしく思う。
もっともっと多くの日本人に、私達の日本語を一生懸命頑張って話そうとしてくれる学生達がいること
そして、日本のことを、日本語のことをこんなにも愛してくれる人達がいることを知ってもらいたいなぁ。。。
学生達と初めて出会った日
全く日本語の話せない学生達との最初の教室は今でも覚えている。
「こんばんは」
と皆に挨拶をしても、日本語が分からないから誰も返事をしない。
¡Buenas noches!とスペイン語であいさつをしてようやく、先生が挨拶をしているということに気づく。
そんな学生達も日本語を勉強して1年。
今日は学生達とささやかな1年記念パーティをした。
正直、こういうパーティをすると私の財布から羽をはやしたお札が出ていくばかりだし、何より今月は経済危機。
学生達からパーティをしましょう!と誘われてもあまり乗り気じゃなかった。
それが、先週
突然の訪問者によって一転
私が教えている中米大学は日本語コースという学科があるのではなく、あくまでも一般を対象とした夜間講義
なので学生達は仕事を終えて、もしくは自身の専攻している授業を終えて、趣味として日本語の授業を受けにくる。
だから、中には仕事の都合や生活環境の変化によって途中でリタイヤしていく学生もいる。
最初16名で始まったこのクラスも、これまでで既に5人のリタイヤがいる。
2年間、この学生達と共に
という想いも虚しく、どうしようもない理由で学生達が去ってゆく。
こんなに悲しいことはない。
一人、またひとりと学生達が去ってゆく度に、どうしようもない切なさが襲う。
その去った5人の中で、家庭の事情でアイルランドに住むことになったCと、フランスでスペイン語の講師として短期滞在することになったAがいる。
先月、Cからfacebookを通して、ニカラグアにしばらく戻ることになったことを聞き、早速みんなでプチ旅行に行ってきた。
そして先週、Aが突然、私の事務所にやってきた。
A~~~~~~~‼‼‼‼‼
日本の文化にはこんなことないけど、あまりの嬉しさに思わずハグをしてしまった。
AともCとも付き合いは5か月程度
それでも、ニカラグアに来るとなり私のところにも訪ねてきてくれた。
学生達が去るのは悲しいけど、こんな風にまた私のもとにやってきてくれることが嬉しい。
こういう繋がり方があるのであれば、何も毎日一緒に日本語を勉強していなくても、いいのかな。
Aがニカラグアに帰ってきた。
Cも今、ニカラグアにいる。
そんじゃ、パーティやるしかないっしょ!!
ってことで、ぜんぜん乗り気じゃなかったのに、私から学生達に呼びかけ、財布をゆるゆるにほどき
から揚げ・コロッケ・おにぎりパーティを開催
財布をゆるめたところでこの程度(苦笑)
今回は2クラス合同で私の家に招き、数名の学生に手伝ってもらってみんなでワイワイ
今までは2クラス合同の催しをしても、結局クラスごとに分かれて、人数の多いクラスに圧倒されてもう一方のクラスは肩身の狭そうにしていたんだけど
今日はなんだか皆楽しそう
やってよかった。
その後のfacebookで学生Kのこんな投稿
学生K「日本語が大好きです。とてもきれいな言語だと思います」
これまで私も義務教育で英語を勉強し、大学でも英語を専攻してきた。
しかし、英語を「美しい」と思って勉強したことは一度もない。
スペイン語に関しては「美しい」と思うことがあるけど。
全く日本語を必要としないニカラグアの学生が「日本語が美しい」と思い、日本語を勉強してくれる
日本人として、こんな小さな国の、話せたところであまり需要のない言語を勉強してくれることだけで学生達には感謝なのに
日本語を美しいと思ってくれる
日本人としてこんな幸せはない。
そして日本語を誇らしく思う。
もっともっと多くの日本人に、私達の日本語を一生懸命頑張って話そうとしてくれる学生達がいること
そして、日本のことを、日本語のことをこんなにも愛してくれる人達がいることを知ってもらいたいなぁ。。。
タグ :日本語は美しい
2015年04月02日
ニカラグアの海
沖縄で生まれた私には
海は無くてはならないもの。
私は前世は海洋生物だったんじゃないかと思うほど、海依存症なんです。
ニカラグアも海に囲まれているけど、車のない私にとっては海に行くのも一苦労。
太平洋側は大したことないし、カリブ海も同郷の人間に「そうでもない」と聞いていたのであまり興味もなく・・・・。
でもやっぱり・・・・・・
安西先生・・・・・
やっぱり海が見たいっす
行ってきました。
ポチョミル
首都マナグアからバスで2時間ほどで着く太平洋側の海。
太平洋と言っても、沖縄の海とは全く異なり、波がとにかく高い。
絶え間なく打ち付ける波
そして遠浅
最初、ニカラグアに来て3か月くらいに見たニカラグアの海は
なんだ、こんなもんか、ニカラグアの海は
としか思わなかったけど
(グラナダの海)
だんだん
あれ?いいかも・・。
と思えてくる
(ヒガンテの海)
まずね、何がいいってね。
ただ浮かんでいるだけで楽しいの。
波がどんどん打ち付けてくるから。
小学校を卒業して初めて行った祭りで年齢制限が理由でトランポリンに乗れなくなって悲しい思いをしたあの日。
自分が大人になっていくことが受け入れられなくて、受付の人に必死で嘘を言っても信じてもらえなかったあの日。
あれから15年
大人になっても楽しめる場所を私はニカラグアで見つけました。
波が来る度に浮かぶの。
そして、壮大な海
この壮大さは沖縄の海では感じられない。
海ってデカイんだな、としみじみと感じる。
この向こうに沖縄がある。
この海を地球半周した先に沖縄がある。
沖縄の海では海水が透明で
そこに泳ぐ魚達やサンゴが色彩豊かで異次元を楽しむことができるけど
ニカラグアの海では大洋の壮大さを楽しむことができる。
そして波の大きさとその流れの強さに海洋の逞しさを感じることができる。
その海を美しいと感じられるようになった私は
ただ単にニカラグア化したからなのだろうか。
それにしてもニカラグアのビール トーニャがよく似合う
馬の背に揺られながらその壮大な海を眺める
こんな贅沢があるでしょうか。
海で遊ぶ子ども達を眺めていると、なんて幸せな環境に住んでいるんだ、
この子達は
と思える。
途上国であることを忘れる。
でも、途上国に住んでいるからといって、そこに住む人々が「不幸せ」だと勝手に思っているのは
先進国の人々の傲慢
なんでこんなにこの人達は幸せなんだろうか
幸せってなんだろうか
とここの人々を見ていると感じる
そんなことを思いながら、アイスクリームを食べて通り行く車を眺めていたら
通ったバスに私に対してメッセージが書かれていました。
バカ
こんなストレートに公共の場で中傷されたのは初めてです。
海は無くてはならないもの。
私は前世は海洋生物だったんじゃないかと思うほど、海依存症なんです。
ニカラグアも海に囲まれているけど、車のない私にとっては海に行くのも一苦労。
太平洋側は大したことないし、カリブ海も同郷の人間に「そうでもない」と聞いていたのであまり興味もなく・・・・。
でもやっぱり・・・・・・
安西先生・・・・・
やっぱり海が見たいっす
行ってきました。
ポチョミル
首都マナグアからバスで2時間ほどで着く太平洋側の海。
太平洋と言っても、沖縄の海とは全く異なり、波がとにかく高い。
絶え間なく打ち付ける波
そして遠浅
最初、ニカラグアに来て3か月くらいに見たニカラグアの海は
なんだ、こんなもんか、ニカラグアの海は
としか思わなかったけど
(グラナダの海)
だんだん
あれ?いいかも・・。
と思えてくる
(ヒガンテの海)
まずね、何がいいってね。
ただ浮かんでいるだけで楽しいの。
波がどんどん打ち付けてくるから。
小学校を卒業して初めて行った祭りで年齢制限が理由でトランポリンに乗れなくなって悲しい思いをしたあの日。
自分が大人になっていくことが受け入れられなくて、受付の人に必死で嘘を言っても信じてもらえなかったあの日。
あれから15年
大人になっても楽しめる場所を私はニカラグアで見つけました。
波が来る度に浮かぶの。
そして、壮大な海
この壮大さは沖縄の海では感じられない。
海ってデカイんだな、としみじみと感じる。
この向こうに沖縄がある。
この海を地球半周した先に沖縄がある。
沖縄の海では海水が透明で
そこに泳ぐ魚達やサンゴが色彩豊かで異次元を楽しむことができるけど
ニカラグアの海では大洋の壮大さを楽しむことができる。
そして波の大きさとその流れの強さに海洋の逞しさを感じることができる。
その海を美しいと感じられるようになった私は
ただ単にニカラグア化したからなのだろうか。
それにしてもニカラグアのビール トーニャがよく似合う
馬の背に揺られながらその壮大な海を眺める
こんな贅沢があるでしょうか。
海で遊ぶ子ども達を眺めていると、なんて幸せな環境に住んでいるんだ、
この子達は
と思える。
途上国であることを忘れる。
でも、途上国に住んでいるからといって、そこに住む人々が「不幸せ」だと勝手に思っているのは
先進国の人々の傲慢
なんでこんなにこの人達は幸せなんだろうか
幸せってなんだろうか
とここの人々を見ていると感じる
そんなことを思いながら、アイスクリームを食べて通り行く車を眺めていたら
通ったバスに私に対してメッセージが書かれていました。
バカ
こんなストレートに公共の場で中傷されたのは初めてです。
2015年04月01日
ニカラグア沖縄ウィーク
更新がだいぶ滞っていました。
はいさいぐすーよーーー
沖縄県文化振興会のプログラムで県外で活動するエイサー団体にエイサーの指導員を派遣するというものがありました。
県外であればどこにでも年に1度応募期間があり、選考されて派遣してもらうことができます。
それを聞きつけたその日が応募期間終了2日前。
すぐさま応募しました。
クリスマスにその報せがやってきました。
やっぱりサンタクロースっているのかな。
ということで、2月に沖縄からエイサー指導員2名がニカラグアにやってきてくれました。
せっかく様々な技術を持っているお二人が来てくださるのですから、様々な活動を企画しました。
まずは沖縄講義
沖縄の言葉や歴史、空手の紹介、そしてエイサーの歴史とエイサーの今を紹介してもらいました。
これまで日本語や日本文化について教えてきましたが、沖縄について教えたこともなかったし、沖縄には独自の言語があるということも彼らにとっては大きな驚きとなったようです。
そして、今までそんなに知らなかったけどとりあえずやってみたエイサー
え??エイサーってこんな面白いものだったの???
また更にエイサーに対する興味を深められたようです。
続きまして沖縄ナイト
三線だけでなく空手もやってくださり
締めはやっぱりカチャーシー
沖縄ってやっぱりラテンなんだな~~~
だから沖縄の文化ってこっちの方にはすんなりと入ってくるよう。
100名余のお客さんに集まってもらって、みんなで沖縄の音楽を楽しみました。
いやぁ、楽しかった。まさかニカラグアで安里屋ユンタが聞けるなんて。
帰りのタクシーで私はずっと気持ちよく安里屋ユンタを歌っていました。
指導員派遣の目的は
エイサーの普及
ということで、エイサー練習だけでなく、新聞やテレビ等でも宣伝してもらえました。
そして、目玉イベントが年に一度のジャパンフェスティバルでのエイサー演舞
中米日本外交関係樹立80周年ということもあり
ニカラグアという国のことを知らない日本人は多いかと思いますが、なんと80年前から国交があったんです。
日本・ニカラグア共にこの80年の間に戦争や震災を経験してきましたが、その度に互いに協力し合ってきていたんですね。
知らなかった~~~~
700名余りのお客さんが集まっていました。
そこでも中米大学エイサー同好会の皆と演舞させてもらい、
沖縄展時コーナーでのゲリラライブでもカチャーシーで大盛り上がり
毎日分刻みのハードな活動を終え翌日には帰られました。
何と言っても私が一番楽しかった。
久しぶりに沖縄の言葉が聞けて、沖縄の言葉で話し、沖縄のことをニカラグアの皆さんに親しんでもらう。
そして、お二人が来てくれたことで、学生達からはエイサー練習熱が上がり、エイサー参加者も増え、ニカラグアに住んでいる邦人にもエイサーのことを知ってもらい、機会があるごとにエイサーを踊ってくれと依頼されるようになりました。
学生の方から、「今後、先生が去った後も私がエイサーを教えてもいいですか」
と次期指導者候補も現れ、エイサーがしっかりと根付いてくれることを期待しています。
いつか学生達がエイサー世界大会出場のために沖縄に遊びに来てくれることを夢見て・・・・
はいさいぐすーよーーー
沖縄県文化振興会のプログラムで県外で活動するエイサー団体にエイサーの指導員を派遣するというものがありました。
県外であればどこにでも年に1度応募期間があり、選考されて派遣してもらうことができます。
それを聞きつけたその日が応募期間終了2日前。
すぐさま応募しました。
クリスマスにその報せがやってきました。
やっぱりサンタクロースっているのかな。
ということで、2月に沖縄からエイサー指導員2名がニカラグアにやってきてくれました。
せっかく様々な技術を持っているお二人が来てくださるのですから、様々な活動を企画しました。
まずは沖縄講義
沖縄の言葉や歴史、空手の紹介、そしてエイサーの歴史とエイサーの今を紹介してもらいました。
これまで日本語や日本文化について教えてきましたが、沖縄について教えたこともなかったし、沖縄には独自の言語があるということも彼らにとっては大きな驚きとなったようです。
そして、今までそんなに知らなかったけどとりあえずやってみたエイサー
え??エイサーってこんな面白いものだったの???
また更にエイサーに対する興味を深められたようです。
続きまして沖縄ナイト
三線だけでなく空手もやってくださり
締めはやっぱりカチャーシー
沖縄ってやっぱりラテンなんだな~~~
だから沖縄の文化ってこっちの方にはすんなりと入ってくるよう。
100名余のお客さんに集まってもらって、みんなで沖縄の音楽を楽しみました。
いやぁ、楽しかった。まさかニカラグアで安里屋ユンタが聞けるなんて。
帰りのタクシーで私はずっと気持ちよく安里屋ユンタを歌っていました。
指導員派遣の目的は
エイサーの普及
ということで、エイサー練習だけでなく、新聞やテレビ等でも宣伝してもらえました。
そして、目玉イベントが年に一度のジャパンフェスティバルでのエイサー演舞
中米日本外交関係樹立80周年ということもあり
ニカラグアという国のことを知らない日本人は多いかと思いますが、なんと80年前から国交があったんです。
日本・ニカラグア共にこの80年の間に戦争や震災を経験してきましたが、その度に互いに協力し合ってきていたんですね。
知らなかった~~~~
700名余りのお客さんが集まっていました。
そこでも中米大学エイサー同好会の皆と演舞させてもらい、
沖縄展時コーナーでのゲリラライブでもカチャーシーで大盛り上がり
毎日分刻みのハードな活動を終え翌日には帰られました。
何と言っても私が一番楽しかった。
久しぶりに沖縄の言葉が聞けて、沖縄の言葉で話し、沖縄のことをニカラグアの皆さんに親しんでもらう。
そして、お二人が来てくれたことで、学生達からはエイサー練習熱が上がり、エイサー参加者も増え、ニカラグアに住んでいる邦人にもエイサーのことを知ってもらい、機会があるごとにエイサーを踊ってくれと依頼されるようになりました。
学生の方から、「今後、先生が去った後も私がエイサーを教えてもいいですか」
と次期指導者候補も現れ、エイサーがしっかりと根付いてくれることを期待しています。
いつか学生達がエイサー世界大会出場のために沖縄に遊びに来てくれることを夢見て・・・・
タグ :エイサー
2014年09月29日
ニカラグア国内カルチャーショック
私が住んでいるのは首都マナグアです。
活動もニカラグア国内ベスト3の大学で日本語を教えるので、普段私が接する人達は
日本での私の生活よりもはるかに裕福な学生達。
教育も私よりはるかに良い教育を受けていて、英語が話せるのは当たり前。
そういう人達と私は普段生活をしています。
ですから、地方隊員さんの「ニカラグア人」のイメージと私の「ニカラグア人」のイメージが全然違うことがよくあります。
他隊員「ニカラグア人はいつも時間に遅れるよね」
私「え・・・?私の学生は15分前に集まるから、
逆に私が遅れることがありますよ」
他隊員「ニカラグア人って、いつも『ちょーだい、ちょーだい』って言わない?」
私「え・・・?『ちょーだい』って言われたことないな。
むしろ私がもらってばっかり。」
他隊員「ニカラグアって男尊女卑が凄いじゃない」
私「え・・・?私の配属先の所長は女性ですよ。」
こんな風に全く違います。
ヒノテガという街で活動をする隊員さんから昨晩電話がありました。
某隊員「明日、ヒノテガに来ない?」
私「え・・・・?・・・行く。」
・・・・ということで、行ってきました。ヒノテガ
首都マナグアからバスで3時間。
山を上って上って、上って上って、そして下ると盆地に大きな街が広がります。
四方を山に囲まれた緑豊かな街。コーヒーで有名な街です。
市場を訪ねました。
沖縄の市場といえば公設市場が有名ですが、ヒノテガの市場には勝てません。
奥にある黒いのは、牛の頭だそうです。
写真を撮っていると、「僕も撮ってよ」と親しくお兄ちゃんが寄ってきます。
このお兄ちゃんが持っているのは牛タン。
お昼ご飯は食堂へ行きました。
店員さんに「奥からご飯とってください」
と言われて奥に進むと厨房が
お姉さんに食事をよそおってもらいます。
コンロは焚き木なんですね。
心なしか、ガスよりも焚き木の方がおいしく感じます。
あ、そうそう。
ニカラグアの主食は米と豆、トルティーヤですが、ほぼ毎日米を食べます。
でも、日本の米とは全然違ってて、パラパラしています。
だから炊き方も全然違う。
油も一緒に炊くのが普通です。
今日は観光で来たわけではありません。
大切ですから、もう一度言います。
今日は観光で来たわけではありません。
ヒノテガの隊員さんの活動では、若年妊娠の低下と安全な出産のための啓発活動などを行っています。
ヒノテガだけでなく、ニカラグア国内様々な地方でも挙げられる問題が
⇒若い妊婦さんが多く、そのほとんどが未婚であること。
⇒医療機関が十分でないために妊娠に危険が伴うこと。
⇒望まれない妊娠(強姦などによる)も多いということ。
ヒノテガの公立病院では、陣痛が起きてから病院で受け入れ、出産後1日で退院となるため、街に住む人々にはよくても村に住む人々にとっては病院まで片道3時間となるため、このように病院から遠く離れた妊婦さんが宿泊できる場所を隊員さんの配属先では提供しています。
利用者さんの名簿を見せてもらいましたが、14歳から44歳までの利用者さんがいました。
44歳の利用者さんは10人目の出産。
ニカラグアは平均年齢が非常に若いと聞いていましたが、首都にいるとあまり子どもを見かけないため、不思議に思っていましたが
なるほど、そういうことか。
施設内にはこんな掲示物がありました。
私「これ、何ですか?」
某隊員「いやね、私が利用者さんに
『名前はどうするの?』って聞くと、
『どんな名前がいいかな?』って逆に質問されるの。
ここの利用者さんの多くは、出生登録をしていない人がほとんどだから、
名前を登録するためにどんな名前にするべきなのか私に聞いて来るの。
困った私は、同僚やいろんな人達に名前の案をここに書いてもらって、
その中から気に入ったものを利用者さんに決めてもらうんだよ。」
私の名前はスペイン語でesperanza。
ちゃっかり、書いてきました。まぁ、esperanzaという名前の人は聞いたことはないのですが、
まだまだ落書きしたい年頃なんです。
今日は、ただただ施設見学に訪れたわけでもありません。
ヒノテガは大きな県で、今回訪れたのはヒノテガ県ヒノテガ市①なんですが
②、③も同じヒノテガ県
そこまでは道路がなく、山を降りて、川をボートで下って道のあるところまで行き、②の村からはヒノテガ市①まで、
なんと3日要するとのことでした。
そこの街にも隊員さんの配属先のような施設を作るということで、その村の産婆さん達が研修にヒノテガ市に来ていました。
彼女達はスペイン語は理解できるのですが、普段話すのはその村の方言です。
電気のない生活のために
8時就寝
4時起床
らしいです。
ほぼ、自給自足の生活をし、油、砂糖、衣類などの自給自足できない物だけを野菜や米などを売ったお金で購入するのだそうです。
そのような村ですから、医療施設はなく、その村のお産は彼女達がするのだそうです。
その知識や技術は親や祖父母から学んだのだそうです。
一人の女性は13人の子どもに、60人の孫がいる
と語ってくれました。
たくましいなぁ~~~
思わず、肩もみしちゃいました。
研修会では、どのような妊婦さんを施設で利用してもらい、どのような妊婦さんを医療機関にお願いするのか
医療知識や経験は彼女らは豊富なので、施設運営の方法等を研修会で学びます。
隊員さんから聞いたのですが
某隊員「急に木の葉っぱをとって、噛み始めたの。
『どうしたの?』って聞いたら」
女性「いや、歯が痛いからね。この葉は歯痛に利くんだよ。」
ってことがあったらしいです。
そんな原始的な生活をしている人々がいるなんて・・・・。
そして、実際に目の前にして話をすると楽しい。
こういう全く異なる生活をする人々との交流が楽しいから、海外がやめられなくなっちゃうんだろうなぁ・・・。
研修中にバス出発の時間がきてしまい、別れを言えずに私は去ってしまいましたが
ヒノテガ弾丸ツアー
充実した1日でした。
活動もニカラグア国内ベスト3の大学で日本語を教えるので、普段私が接する人達は
日本での私の生活よりもはるかに裕福な学生達。
教育も私よりはるかに良い教育を受けていて、英語が話せるのは当たり前。
そういう人達と私は普段生活をしています。
ですから、地方隊員さんの「ニカラグア人」のイメージと私の「ニカラグア人」のイメージが全然違うことがよくあります。
他隊員「ニカラグア人はいつも時間に遅れるよね」
私「え・・・?私の学生は15分前に集まるから、
逆に私が遅れることがありますよ」
他隊員「ニカラグア人って、いつも『ちょーだい、ちょーだい』って言わない?」
私「え・・・?『ちょーだい』って言われたことないな。
むしろ私がもらってばっかり。」
他隊員「ニカラグアって男尊女卑が凄いじゃない」
私「え・・・?私の配属先の所長は女性ですよ。」
こんな風に全く違います。
ヒノテガという街で活動をする隊員さんから昨晩電話がありました。
某隊員「明日、ヒノテガに来ない?」
私「え・・・・?・・・行く。」
・・・・ということで、行ってきました。ヒノテガ
首都マナグアからバスで3時間。
山を上って上って、上って上って、そして下ると盆地に大きな街が広がります。
四方を山に囲まれた緑豊かな街。コーヒーで有名な街です。
市場を訪ねました。
沖縄の市場といえば公設市場が有名ですが、ヒノテガの市場には勝てません。
奥にある黒いのは、牛の頭だそうです。
写真を撮っていると、「僕も撮ってよ」と親しくお兄ちゃんが寄ってきます。
このお兄ちゃんが持っているのは牛タン。
お昼ご飯は食堂へ行きました。
店員さんに「奥からご飯とってください」
と言われて奥に進むと厨房が
お姉さんに食事をよそおってもらいます。
コンロは焚き木なんですね。
心なしか、ガスよりも焚き木の方がおいしく感じます。
あ、そうそう。
ニカラグアの主食は米と豆、トルティーヤですが、ほぼ毎日米を食べます。
でも、日本の米とは全然違ってて、パラパラしています。
だから炊き方も全然違う。
油も一緒に炊くのが普通です。
今日は観光で来たわけではありません。
大切ですから、もう一度言います。
今日は観光で来たわけではありません。
ヒノテガの隊員さんの活動では、若年妊娠の低下と安全な出産のための啓発活動などを行っています。
ヒノテガだけでなく、ニカラグア国内様々な地方でも挙げられる問題が
⇒若い妊婦さんが多く、そのほとんどが未婚であること。
⇒医療機関が十分でないために妊娠に危険が伴うこと。
⇒望まれない妊娠(強姦などによる)も多いということ。
ヒノテガの公立病院では、陣痛が起きてから病院で受け入れ、出産後1日で退院となるため、街に住む人々にはよくても村に住む人々にとっては病院まで片道3時間となるため、このように病院から遠く離れた妊婦さんが宿泊できる場所を隊員さんの配属先では提供しています。
利用者さんの名簿を見せてもらいましたが、14歳から44歳までの利用者さんがいました。
44歳の利用者さんは10人目の出産。
ニカラグアは平均年齢が非常に若いと聞いていましたが、首都にいるとあまり子どもを見かけないため、不思議に思っていましたが
なるほど、そういうことか。
施設内にはこんな掲示物がありました。
私「これ、何ですか?」
某隊員「いやね、私が利用者さんに
『名前はどうするの?』って聞くと、
『どんな名前がいいかな?』って逆に質問されるの。
ここの利用者さんの多くは、出生登録をしていない人がほとんどだから、
名前を登録するためにどんな名前にするべきなのか私に聞いて来るの。
困った私は、同僚やいろんな人達に名前の案をここに書いてもらって、
その中から気に入ったものを利用者さんに決めてもらうんだよ。」
私の名前はスペイン語でesperanza。
ちゃっかり、書いてきました。まぁ、esperanzaという名前の人は聞いたことはないのですが、
まだまだ落書きしたい年頃なんです。
今日は、ただただ施設見学に訪れたわけでもありません。
ヒノテガは大きな県で、今回訪れたのはヒノテガ県ヒノテガ市①なんですが
②、③も同じヒノテガ県
そこまでは道路がなく、山を降りて、川をボートで下って道のあるところまで行き、②の村からはヒノテガ市①まで、
なんと3日要するとのことでした。
そこの街にも隊員さんの配属先のような施設を作るということで、その村の産婆さん達が研修にヒノテガ市に来ていました。
彼女達はスペイン語は理解できるのですが、普段話すのはその村の方言です。
電気のない生活のために
8時就寝
4時起床
らしいです。
ほぼ、自給自足の生活をし、油、砂糖、衣類などの自給自足できない物だけを野菜や米などを売ったお金で購入するのだそうです。
そのような村ですから、医療施設はなく、その村のお産は彼女達がするのだそうです。
その知識や技術は親や祖父母から学んだのだそうです。
一人の女性は13人の子どもに、60人の孫がいる
と語ってくれました。
たくましいなぁ~~~
思わず、肩もみしちゃいました。
研修会では、どのような妊婦さんを施設で利用してもらい、どのような妊婦さんを医療機関にお願いするのか
医療知識や経験は彼女らは豊富なので、施設運営の方法等を研修会で学びます。
隊員さんから聞いたのですが
某隊員「急に木の葉っぱをとって、噛み始めたの。
『どうしたの?』って聞いたら」
女性「いや、歯が痛いからね。この葉は歯痛に利くんだよ。」
ってことがあったらしいです。
そんな原始的な生活をしている人々がいるなんて・・・・。
そして、実際に目の前にして話をすると楽しい。
こういう全く異なる生活をする人々との交流が楽しいから、海外がやめられなくなっちゃうんだろうなぁ・・・。
研修中にバス出発の時間がきてしまい、別れを言えずに私は去ってしまいましたが
ヒノテガ弾丸ツアー
充実した1日でした。
2014年09月22日
サルサSALSA!サルサの血流れるニカラグア人
居住宅から徒歩10分のところにサルサダンスバーがあります。
お客さん達もダンスの上手な人達ばかり
踊るのが苦手な私でもビール飲みながら本格的なサルサ(?素人の私から見れば皆プロに見えるので)
を楽しむことができます。
ビールを飲んで座っていると、ダンスに誘われます。
ペアで踊るものなので、異性と近い距離で踊るのですが皆純粋に音楽とダンスが好きなので
やらしさは一切ありません。
リズムの乗り方や腰つきがやっぱり日本人ではどうしてもカタくなってしまうのですが、
やっぱりラテン人はサルサの血が流れているので
「私ヘタですが・・」
と言う人でも、私のヘタさとは全然くらべものになりません。
ダンスクラブは悪いイメージもありますが、本当に音楽と踊りが好きで踊っている人達だけのダンスバー
テンションMAXです。
今ココにいるうちにサルサ習いたいなぁ~~・・・。
お客さん達もダンスの上手な人達ばかり
踊るのが苦手な私でもビール飲みながら本格的なサルサ(?素人の私から見れば皆プロに見えるので)
を楽しむことができます。
ビールを飲んで座っていると、ダンスに誘われます。
ペアで踊るものなので、異性と近い距離で踊るのですが皆純粋に音楽とダンスが好きなので
やらしさは一切ありません。
リズムの乗り方や腰つきがやっぱり日本人ではどうしてもカタくなってしまうのですが、
やっぱりラテン人はサルサの血が流れているので
「私ヘタですが・・」
と言う人でも、私のヘタさとは全然くらべものになりません。
ダンスクラブは悪いイメージもありますが、本当に音楽と踊りが好きで踊っている人達だけのダンスバー
テンションMAXです。
今ココにいるうちにサルサ習いたいなぁ~~・・・。
2014年09月19日
陽気なニカラグア人
ラテン国って、もっとなんか・・・・
「HOLA! アミーゴ 調子はどうだぃ?」
「いつでも全開さ!そっちは?」
「昨日かわいいセニョリータと朝までサルサ踊って楽しかったんだよ。今でも踊りだしたい気分だよ。」
みたいな、タコスとコロナで昼間っから抱き合ってるような楽しそうなイメージ
ちょっと行き過ぎたイメージかもしれないけど、それって多分メキシコとかブラジルとかのイメージだったんだなぁ
ニカラグアに来て、
「あれ?おとなしい・・・。」
と思う場面が何度もあります。
初めての授業の時は皆よそよそしくて、全然しゃべらなかったし、思ってたよりも人見知りが多い。
「着席、礼」「ありがとうございました」
で授業を終えても、誰かが立ち上がらないと皆帰ろうとしない。
一度、30分くらい誰も帰りもせず座り続けてたこともあったなぁ~
「あれ?みんな、帰らないの?」
って聞いたら、帰り始めました。
空気を読む文化がここにはある。
まぁ、私があまりにもラテン人に対する先入観がありすぎて、「シャイ」とか「人見知り」「おとなしい」
と思っているんだけど、日本に比べたら俄然ラテン
まず、道行く人に
「やぁ、今日もよい一日を」
なんて見知らぬ人に日本では声かけないよね。
もし、そんなことあったら
「宗教の勧誘?」
とか思って怪訝な顔して足早に立ち去るな。
ニカラグアでは知らない人でも気になったらすぐ声かける
「何それ?おいしそうだね。どこで買ったの?」
とか、バスで隣の人に
「いやぁ、歩き疲れたよ。どこに住んでるの?」
とか。
みんな、おしゃべり大好きだから、知らない人にでも声かける。
そこはやっぱりラテン人だなぁと思う。
最近、ニカラグア人優しいなぁ~と思うことがよくある。
いつも夜8時半頃、大学から帰るんだけど、夜は危険なので歩いてはいけない。
だから、毎日事前にTAXYの運転手に予約をとっておく。
首都マナグアではTAXY強盗が多発していて、殺人事件もよくある。
女性の場合、どこに連れて行かれるか分からないから、夜は流しは使わない(基本的に昼夜問わず流しのTAXY使用は禁止)
その日も、いつも使っているTAXYを待っていた。
8:40
まぁ、それくらいなら遅れることもよくある。
8:45
あれ?今日はちょっと遅いな。
電話してみるか。
「え?今、遠くにいるから行くの無理だよ!」
なぁぁぁぁぁ~~~~~ぬぅぅぅぅぅ~~~~~‼‼?
今日の朝、「今日もいつも通り8:30でお願いね」って言ったはずなのに‼‼?
そこは、私のスペイン語力にも不安があるので強く言えず・・
大学の門の外でウロウロしていたら、ゲートのおじさんが
「外は危ないから、大学の中で待ってな。オートバイが通ってひったくられるよ。」
そう言って声をかけてもらえた。
Sr.「どうしたの?」
私「TAXYが来れないらしんだよね」
Sr.「それは大変だ。この辺は危ないから自分の知ってる人の車にしか乗っちゃダメだよ」
私「そうなんだけど、TAXY来れないからね。大学には専属TAXYはないの?」
Sr.「う~ん、ないなぁ」
私「とりあえず、知ってるTAXYいくつかに電話してみる」
Sr.「うん、そうしな」
・・・と、電話をかけてみる。
ニカラグアは無線TAXYがないから、個人個人の電話番号を登録しておいて個人と予約のやりとりをする。
私の知ってるTAXYドライバーはせいぜい3人くらい
全員ダメ。
Sr.「どうだった?」
私「みんな来れないって」
Sr.「それは困ったな。じゃぁ、僕が危険なTAXYかそうじゃないかを判断してあげるから、流しのTAXYに乗って、もし何かあったら僕に電話してよ。電話番号教えるから」
私「う~~~ん。そうだね。わかった。」
その会話のやり取りを全部見ていた女性が会話に参加する。
Sra.「どこまで行くの?」
私「この近くです。ソナイッポスのモンテエスパーニャ病院のとこ」
Sra.「それなら通り道だし、私の車に乗ってく?今からお父さんが迎えに来るの」
私「え?いいの?」
Sra.「通り道だし、問題ないよ」
日本でこんなことありえる‼‼‼‼?
私だったら会話聞いていても多分声かけないかなぁ~~~・・・。
・・・ってことで、その日は無事に帰ることができました。
その夜からゲートのおじさんとも仲良くなって、いつも「今日はTAXY来る?」と声かけてくれます。
最近もう一つ、
普段は、歩いて大学まで行きますが、その日は荷物も多かったし、TAXYの予約もしてなかったので仕方なしに流しのTAXYを使いました。
(最近は正規TAXYの見分け方を知って、ちょっと調子に乗ってます。でも極力使わないようにはしてますよ)
TAXYに乗ってると、もう一人年配の男性が相乗りしました。
(そうやって、お客さん乗っているのにも関わらず客引きして他のお客さんを乗せるから流しの使用は禁止されています。昼間、流しを使う時はいつでも降りて逃げられるよう常に警戒はしています)
TAXYが大学の別のゲートに行こうとしたので
「違うよ、ごめん言ってなかったね。あそこのゲートに行ってもらいたいんだ。」
と言って引き返してもらいました。
他にお客さんも乗っているのに申し訳ない。
大学に着いていざ、お金を払おうとすると、ニカラグアで一番大きな紙幣しかない。
私「今、500コルドバ紙幣しか持ってないんだけど、おつりある?」
TAXY「え、それは困るなぁ~。もっと小さいのないの?」
私「ないなぁ~。じゃ、近くのコンビニまで行って。そこで何か買ってくずしてくるから。私はそこで降ろしていいよ。」
と、TAXYは走り出しました。
相乗りオジサン「いくらなの?」
TAXY「40コルドバ」
相乗りオジサン「そんくらいなら、僕が払うよ。」
TAXY「セニョリータ!ほら!セニョールがお金払ってくれるって!な!ニカラグア人は優しいだろ‼‼‼」
私「え‼‼?本当にいいの‼‼?うんうん、ニカラグア人はやっぱりさっき言ってた通り優しくて陽気で誰とでも友達になる人達だね。」
なんで、そこでTAXYドライバーが偉そうだったのか、今思うと不思議でたまらないんですが
というか、そもそもお釣りを持っていない「お前が悪い!」
とツッこんでやりたいのですが、そこはご愛嬌
さっきまで、ニカラグアはどう?っていう会話の中で私がニカラグア人を褒めちぎっていたので、オジサンもTAXYドライバーも言われた手前、優しくしてあげなきゃってなったのかな。
いや、でも多分、そうであったとしても優しすぎて私は嬉しくて感動したという事実に変わりはない。
私「セニョール本当にありがとう、これ、よかったら飲んで」
とさっき買ったばかりの炭酸飲料を差し出しました。
多分、炭酸なんて飲まなさそうな年配男性でしたが、私はそれくらいしかできないので差し出してしまいました。
オジサンも多分飲まないだろうに、「ありがとう」と言って受け取ってくれました。
人から親切にされると嬉しくなるし幸せな気持ちになれる。
私ももっと親切になろう、と誓った28の昼でした。
写真は、ホームステイ先で働くお手伝いさん。
その日はホームステイ先の息子さんの誕生日でパーティをしていたのですが、ホームステイ先はセレブなので彼女達のパーティはちょっと肩が凝ります。
だから、私はお手伝いさん達と一緒にビールを飲んでいました。
お手伝いさんのファニー(左)もなかなかのシャイで、あまり感情を表に出さないのですが、プライベートの時間はケタケタ笑って楽しそう。
かわいかったなぁ~
彼女は23歳で2児のシングルマザー。上の子は小学校低学年
右のクラウディアも歳忘れちゃったな。22~24くらいだったか。彼女も2児の母。確か旦那はいるって言っていたような・・。
富裕層はそうでもないけど、中流以下の階級は、妊娠が非常に早く、シングルマザーが当たり前。
だから誰も気にしません。
ファニーは「見て、私の彼氏」
と言って、携帯の写真を見せてきてプライベートも充実しているようだし。
「HOLA! アミーゴ 調子はどうだぃ?」
「いつでも全開さ!そっちは?」
「昨日かわいいセニョリータと朝までサルサ踊って楽しかったんだよ。今でも踊りだしたい気分だよ。」
みたいな、タコスとコロナで昼間っから抱き合ってるような楽しそうなイメージ
ちょっと行き過ぎたイメージかもしれないけど、それって多分メキシコとかブラジルとかのイメージだったんだなぁ
ニカラグアに来て、
「あれ?おとなしい・・・。」
と思う場面が何度もあります。
初めての授業の時は皆よそよそしくて、全然しゃべらなかったし、思ってたよりも人見知りが多い。
「着席、礼」「ありがとうございました」
で授業を終えても、誰かが立ち上がらないと皆帰ろうとしない。
一度、30分くらい誰も帰りもせず座り続けてたこともあったなぁ~
「あれ?みんな、帰らないの?」
って聞いたら、帰り始めました。
空気を読む文化がここにはある。
まぁ、私があまりにもラテン人に対する先入観がありすぎて、「シャイ」とか「人見知り」「おとなしい」
と思っているんだけど、日本に比べたら俄然ラテン
まず、道行く人に
「やぁ、今日もよい一日を」
なんて見知らぬ人に日本では声かけないよね。
もし、そんなことあったら
「宗教の勧誘?」
とか思って怪訝な顔して足早に立ち去るな。
ニカラグアでは知らない人でも気になったらすぐ声かける
「何それ?おいしそうだね。どこで買ったの?」
とか、バスで隣の人に
「いやぁ、歩き疲れたよ。どこに住んでるの?」
とか。
みんな、おしゃべり大好きだから、知らない人にでも声かける。
そこはやっぱりラテン人だなぁと思う。
最近、ニカラグア人優しいなぁ~と思うことがよくある。
いつも夜8時半頃、大学から帰るんだけど、夜は危険なので歩いてはいけない。
だから、毎日事前にTAXYの運転手に予約をとっておく。
首都マナグアではTAXY強盗が多発していて、殺人事件もよくある。
女性の場合、どこに連れて行かれるか分からないから、夜は流しは使わない(基本的に昼夜問わず流しのTAXY使用は禁止)
その日も、いつも使っているTAXYを待っていた。
8:40
まぁ、それくらいなら遅れることもよくある。
8:45
あれ?今日はちょっと遅いな。
電話してみるか。
「え?今、遠くにいるから行くの無理だよ!」
なぁぁぁぁぁ~~~~~ぬぅぅぅぅぅ~~~~~‼‼?
今日の朝、「今日もいつも通り8:30でお願いね」って言ったはずなのに‼‼?
そこは、私のスペイン語力にも不安があるので強く言えず・・
大学の門の外でウロウロしていたら、ゲートのおじさんが
「外は危ないから、大学の中で待ってな。オートバイが通ってひったくられるよ。」
そう言って声をかけてもらえた。
Sr.「どうしたの?」
私「TAXYが来れないらしんだよね」
Sr.「それは大変だ。この辺は危ないから自分の知ってる人の車にしか乗っちゃダメだよ」
私「そうなんだけど、TAXY来れないからね。大学には専属TAXYはないの?」
Sr.「う~ん、ないなぁ」
私「とりあえず、知ってるTAXYいくつかに電話してみる」
Sr.「うん、そうしな」
・・・と、電話をかけてみる。
ニカラグアは無線TAXYがないから、個人個人の電話番号を登録しておいて個人と予約のやりとりをする。
私の知ってるTAXYドライバーはせいぜい3人くらい
全員ダメ。
Sr.「どうだった?」
私「みんな来れないって」
Sr.「それは困ったな。じゃぁ、僕が危険なTAXYかそうじゃないかを判断してあげるから、流しのTAXYに乗って、もし何かあったら僕に電話してよ。電話番号教えるから」
私「う~~~ん。そうだね。わかった。」
その会話のやり取りを全部見ていた女性が会話に参加する。
Sra.「どこまで行くの?」
私「この近くです。ソナイッポスのモンテエスパーニャ病院のとこ」
Sra.「それなら通り道だし、私の車に乗ってく?今からお父さんが迎えに来るの」
私「え?いいの?」
Sra.「通り道だし、問題ないよ」
日本でこんなことありえる‼‼‼‼?
私だったら会話聞いていても多分声かけないかなぁ~~~・・・。
・・・ってことで、その日は無事に帰ることができました。
その夜からゲートのおじさんとも仲良くなって、いつも「今日はTAXY来る?」と声かけてくれます。
最近もう一つ、
普段は、歩いて大学まで行きますが、その日は荷物も多かったし、TAXYの予約もしてなかったので仕方なしに流しのTAXYを使いました。
(最近は正規TAXYの見分け方を知って、ちょっと調子に乗ってます。でも極力使わないようにはしてますよ)
TAXYに乗ってると、もう一人年配の男性が相乗りしました。
(そうやって、お客さん乗っているのにも関わらず客引きして他のお客さんを乗せるから流しの使用は禁止されています。昼間、流しを使う時はいつでも降りて逃げられるよう常に警戒はしています)
TAXYが大学の別のゲートに行こうとしたので
「違うよ、ごめん言ってなかったね。あそこのゲートに行ってもらいたいんだ。」
と言って引き返してもらいました。
他にお客さんも乗っているのに申し訳ない。
大学に着いていざ、お金を払おうとすると、ニカラグアで一番大きな紙幣しかない。
私「今、500コルドバ紙幣しか持ってないんだけど、おつりある?」
TAXY「え、それは困るなぁ~。もっと小さいのないの?」
私「ないなぁ~。じゃ、近くのコンビニまで行って。そこで何か買ってくずしてくるから。私はそこで降ろしていいよ。」
と、TAXYは走り出しました。
相乗りオジサン「いくらなの?」
TAXY「40コルドバ」
相乗りオジサン「そんくらいなら、僕が払うよ。」
TAXY「セニョリータ!ほら!セニョールがお金払ってくれるって!な!ニカラグア人は優しいだろ‼‼‼」
私「え‼‼?本当にいいの‼‼?うんうん、ニカラグア人はやっぱりさっき言ってた通り優しくて陽気で誰とでも友達になる人達だね。」
なんで、そこでTAXYドライバーが偉そうだったのか、今思うと不思議でたまらないんですが
というか、そもそもお釣りを持っていない「お前が悪い!」
とツッこんでやりたいのですが、そこはご愛嬌
さっきまで、ニカラグアはどう?っていう会話の中で私がニカラグア人を褒めちぎっていたので、オジサンもTAXYドライバーも言われた手前、優しくしてあげなきゃってなったのかな。
いや、でも多分、そうであったとしても優しすぎて私は嬉しくて感動したという事実に変わりはない。
私「セニョール本当にありがとう、これ、よかったら飲んで」
とさっき買ったばかりの炭酸飲料を差し出しました。
多分、炭酸なんて飲まなさそうな年配男性でしたが、私はそれくらいしかできないので差し出してしまいました。
オジサンも多分飲まないだろうに、「ありがとう」と言って受け取ってくれました。
人から親切にされると嬉しくなるし幸せな気持ちになれる。
私ももっと親切になろう、と誓った28の昼でした。
写真は、ホームステイ先で働くお手伝いさん。
その日はホームステイ先の息子さんの誕生日でパーティをしていたのですが、ホームステイ先はセレブなので彼女達のパーティはちょっと肩が凝ります。
だから、私はお手伝いさん達と一緒にビールを飲んでいました。
お手伝いさんのファニー(左)もなかなかのシャイで、あまり感情を表に出さないのですが、プライベートの時間はケタケタ笑って楽しそう。
かわいかったなぁ~
彼女は23歳で2児のシングルマザー。上の子は小学校低学年
右のクラウディアも歳忘れちゃったな。22~24くらいだったか。彼女も2児の母。確か旦那はいるって言っていたような・・。
富裕層はそうでもないけど、中流以下の階級は、妊娠が非常に早く、シングルマザーが当たり前。
だから誰も気にしません。
ファニーは「見て、私の彼氏」
と言って、携帯の写真を見せてきてプライベートも充実しているようだし。
2014年09月18日
初めてのオシャレ
ニカラグアに来て5か月が経ちました。
私、その間
全然オシャレしてないんです。
と言うのも、協力隊は出国する前に必ず2か月の事前訓練を受けます。
その訓練の中で
→派遣される国の言葉
→どうやって違う文化の人々とコミュニケーションをとるのか
→何もないところである物をどう活用できるのか
→ボランティアとは??
→目標管理・スケジュール管理
→健康を維持するには
・・・・・などなどなどなどなどなど
た~~~くさんのことを学ぶわけですが
どうやったら犯罪に巻き込まれないのかを学ぶ時
Q.あなたが泥棒だとして、どんな場所でどんな時間にどんな人を狙えばいいですか?
と聞かれるわけですよ。
人気のないところで~~
夜か早朝~~
お金の持っていそうな弱い人・・・・・
日本人女性なんて恰好のターゲットじゃないですか‼‼‼‼‼
お金持ってないのに日本人ってだけで「お金持ってる」イメージあるわけですから。
じゃ、どうやったら犯罪に巻き込まれないのか???
人気のない所には行かない!
暗い時間はなるべく出歩かない!
お金の持っていそうな格好は避ける!
と学ぶわけです。
アメリカ人の友達の旦那が
「俺の国では好きなナイキの靴はいて出歩いてたら銃で撃たれてそのまま盗まれるから安い靴しか穿かないけど、日本じゃ堂々と好きなブランドの靴穿けるからいいよなぁ~~」
と言っていたのを思い出しました。
なので、
アクセサリー類は身につけない
安い服装をする
ブランド品なんてもってのほか
という意識がついていたので、スーツケースの中の服はGパン2本にTシャツ数枚のみでここに来たんです。
(その方が荷物も少なくてすむし)
しかししかし、だがしかし!
私の配属先は首都マナグア
それも富裕層ばかりの通うエリート大学
皆オシャレでiphone ipad Mac・・・・
高そうなもんばっか持ってるんですよ。
そん中で日本人の私はTシャツGパンで授業をするわけです。
浮いてしょうがない。
まぁ、今まではそれでよかったんです。
ここの人達がどういうオシャレをしていて、何をしたら危険なのか見当もつかなかったので。
でも、まぁ、ブランド品は持っていなくても服装くらいは「カワイイ」ものを着ている分には問題ない
っていうのがだんだん分かってきました。
そうなると、今までの服装を早く止めたい。
少しはオシャレしたい欲求が出てくるわけですよ。
先輩隊員に
「先輩、服が買いたいです(涙)」
って相談したら、ヒノテペいいよ~~~って言うんで、行ってみました。
カラソ県ヒノテペ市
首都マナグアからバスで1時間程度。
バスも定期的に頻繁に行けるので
ちょっと牛乳でも買いに
くらいの感覚で行ける街です。
お昼くらいに行って腹ごしらえをしてお店を周っていると
あるある‼‼‼安くてかわいいもんがたくさん‼‼‼
海外からの輸入品ばかりなのでこだわりさえなければ、いくらでも安く手に入ります。
買い物に夢中になりすぎて、写真撮るの忘れててとりあえず撮ったのがこの写真
かわいい服売っているようには見えないでしょ?
でも、あるんですよ‼‼
久しぶりにテンション上がりました。
お昼から4~5時間、時間を忘れて買い物に夢中
気がつくと真っ暗になっていました。
帰りのバスがなくなってしまうので慌ててバスへ向かう途中
車に紛れてこんなものが通っていたので、立ち止まって写真を撮りました。
楽しそうな子ども達。
お父さんも、のぼり坂、押しているだけでも大変なので写真を撮る私達のために立ち止まってくれました。
いいお父さんだなぁ~~
こんなお父さんだったら、絶対大好きになってしまう。
子ども達は幸せなんだろうなぁ~~
子ども達は楽しそうに「バイバ~~イ!バイバ~~イ」と去り際ずっと私達に声かけてくれました。
そうそう
普通、道を歩いているとadios, chinita(やぁ、中国人ちゃん)とよく声かけられるのですが
(adios=「さようなら」だけど、通り行く人への挨拶としても使われる)
ヒノテペの街では「さようなら」と、日本語で声をかける人がとても多かったです。
この街に住んでいた元隊員さんが丁寧に日本語を教えていたのでしょう。
嬉しいもんですね。日本語で声かけられるのは
いやぁぁ、それにしても本当、楽しかった‼‼‼‼
睡眠不足で行ったのにも関わらず、疲れるのも忘れていました。
今日の収穫
タンクトップ3枚
シャツ5枚
ワンピ1枚
パンツ1本
日本円で約5千円くらいです。
こりゃ、来週も行くかな。
さぁ、明日は何着て行こう?
ウフフフフ
(写真:お昼に食べた軽食屋さんのテーブル グェングェンセというニカラグア舞踊で使われるお面)
私、その間
全然オシャレしてないんです。
と言うのも、協力隊は出国する前に必ず2か月の事前訓練を受けます。
その訓練の中で
→派遣される国の言葉
→どうやって違う文化の人々とコミュニケーションをとるのか
→何もないところである物をどう活用できるのか
→ボランティアとは??
→目標管理・スケジュール管理
→健康を維持するには
・・・・・などなどなどなどなどなど
た~~~くさんのことを学ぶわけですが
どうやったら犯罪に巻き込まれないのかを学ぶ時
Q.あなたが泥棒だとして、どんな場所でどんな時間にどんな人を狙えばいいですか?
と聞かれるわけですよ。
人気のないところで~~
夜か早朝~~
お金の持っていそうな弱い人・・・・・
日本人女性なんて恰好のターゲットじゃないですか‼‼‼‼‼
お金持ってないのに日本人ってだけで「お金持ってる」イメージあるわけですから。
じゃ、どうやったら犯罪に巻き込まれないのか???
人気のない所には行かない!
暗い時間はなるべく出歩かない!
お金の持っていそうな格好は避ける!
と学ぶわけです。
アメリカ人の友達の旦那が
「俺の国では好きなナイキの靴はいて出歩いてたら銃で撃たれてそのまま盗まれるから安い靴しか穿かないけど、日本じゃ堂々と好きなブランドの靴穿けるからいいよなぁ~~」
と言っていたのを思い出しました。
なので、
アクセサリー類は身につけない
安い服装をする
ブランド品なんてもってのほか
という意識がついていたので、スーツケースの中の服はGパン2本にTシャツ数枚のみでここに来たんです。
(その方が荷物も少なくてすむし)
しかししかし、だがしかし!
私の配属先は首都マナグア
それも富裕層ばかりの通うエリート大学
皆オシャレでiphone ipad Mac・・・・
高そうなもんばっか持ってるんですよ。
そん中で日本人の私はTシャツGパンで授業をするわけです。
浮いてしょうがない。
まぁ、今まではそれでよかったんです。
ここの人達がどういうオシャレをしていて、何をしたら危険なのか見当もつかなかったので。
でも、まぁ、ブランド品は持っていなくても服装くらいは「カワイイ」ものを着ている分には問題ない
っていうのがだんだん分かってきました。
そうなると、今までの服装を早く止めたい。
少しはオシャレしたい欲求が出てくるわけですよ。
先輩隊員に
「先輩、服が買いたいです(涙)」
って相談したら、ヒノテペいいよ~~~って言うんで、行ってみました。
カラソ県ヒノテペ市
首都マナグアからバスで1時間程度。
バスも定期的に頻繁に行けるので
ちょっと牛乳でも買いに
くらいの感覚で行ける街です。
お昼くらいに行って腹ごしらえをしてお店を周っていると
あるある‼‼‼安くてかわいいもんがたくさん‼‼‼
海外からの輸入品ばかりなのでこだわりさえなければ、いくらでも安く手に入ります。
買い物に夢中になりすぎて、写真撮るの忘れててとりあえず撮ったのがこの写真
かわいい服売っているようには見えないでしょ?
でも、あるんですよ‼‼
久しぶりにテンション上がりました。
お昼から4~5時間、時間を忘れて買い物に夢中
気がつくと真っ暗になっていました。
帰りのバスがなくなってしまうので慌ててバスへ向かう途中
車に紛れてこんなものが通っていたので、立ち止まって写真を撮りました。
楽しそうな子ども達。
お父さんも、のぼり坂、押しているだけでも大変なので写真を撮る私達のために立ち止まってくれました。
いいお父さんだなぁ~~
こんなお父さんだったら、絶対大好きになってしまう。
子ども達は幸せなんだろうなぁ~~
子ども達は楽しそうに「バイバ~~イ!バイバ~~イ」と去り際ずっと私達に声かけてくれました。
そうそう
普通、道を歩いているとadios, chinita(やぁ、中国人ちゃん)とよく声かけられるのですが
(adios=「さようなら」だけど、通り行く人への挨拶としても使われる)
ヒノテペの街では「さようなら」と、日本語で声をかける人がとても多かったです。
この街に住んでいた元隊員さんが丁寧に日本語を教えていたのでしょう。
嬉しいもんですね。日本語で声かけられるのは
いやぁぁ、それにしても本当、楽しかった‼‼‼‼
睡眠不足で行ったのにも関わらず、疲れるのも忘れていました。
今日の収穫
タンクトップ3枚
シャツ5枚
ワンピ1枚
パンツ1本
日本円で約5千円くらいです。
こりゃ、来週も行くかな。
さぁ、明日は何着て行こう?
ウフフフフ
(写真:お昼に食べた軽食屋さんのテーブル グェングェンセというニカラグア舞踊で使われるお面)
2014年09月17日
ヌエバギネアnueva guineaは今日も雨 part2
2014/09/17
さて、行進はまだまだ続きます。
こういう中高生の行進を見るといつも思うのが、女子達の完成された色気
日本では、中高生が化粧をしたりオシャレをしたりすることを周囲の大人が止めさせる傾向がありますが、ニカラグアではあまりそれは感じられません。あまりにも生徒達に色気がありすぎます。
そりゃ、私達を見て実年齢を言うと驚きますよね。
ほとんど色気がないもんですから。
少し羨ましい気もしますが、やっぱり子どものうちから肌に悪いものはなるべくつけない方がいい
男の子達も日本の男子生徒とはなんだか雰囲気が違います。
ここの男の子達は皆、ワックスベッタリで前髪を立てます。
一番賑やかなグループがやってきました。
テンポの良い美麗な女子生徒のダンスとダイナミックな鼓笛隊の演奏についつい
工事中のオジサンも釘づけ
私も走って追いかけてしまったので、オジサンの気持ちは非常に分かります。
ただ、オジサンが今修理しているのは今晩私達の泊まるホテルの電気。
オジサンに頑張ってもらわないと今晩も電気なしで夜を過ごさなければならないので少し複雑な気持ちです。
とても楽しい時間を過ごすことができました。
昼ご飯はさっき公園でまだ準備中だった鶏のスープ
おいしくできてるかなぁ~~~~
ニカラグアにはあまりスープを飲む習慣がありません。
きっと暑い国だからだと思います。
でも味噌汁で育った私達にはスープは恋しいもの。
普段の料理はほとんど味付けが濃いのですが、このスープは少し薄めでした。
でも、ダシの味を活かした料理というものがあまり無いので、鶏から出るダシが私の胃を優しく包んでくれました。
話は少し戻るのですが、行進を見ている最中、ずっとシャボン玉を吹き続けていました。
周囲の子ども達は行進よりも私の作りだすシャボン玉に夢中
それが楽しくてシャボン玉を楽しんでいました。
さて用のなくなったシャボン玉。
スープを飲んでた外国人の私達に興味津々で近づいてきた子ども達に
「いる?」って聞いたら嬉しそうに
「うん‼‼‼」って答えていたのであげちゃいました。
年長のお姉ちゃんがシャボン玉を吹いてあげて、それを追いかけるチビッ子達。
私達がシャボン玉を吹く姿はあまりにも異様でしたが、シャボン玉にたわむれる子ども達の姿こそが本来のシャボン玉の姿。
やっぱり買って良かったなぁと思いながら、スープを食べた店を後にしました。
さて、残るは
②遊ぶ
と
③トランプ購入
フリスビーのできそうな場所を探します。
いくらでもありました。
オッサン一人と20代後半の女子二人がワイワイ、フリスビーで遊びます。
なかなか投げるのが難しい。
近所の子どもらが、その姿を凝視
子どものように遊ぶのって、楽しんでいるフリをしているのか、頑張って楽しむようにしているのか、少々「努力」が必要ですが
でも、こういう時間って必要だなと思います。
「大人が大人らしくしていなきゃいけない」とは私は思えないので
「フリ」でも子どもに戻りたいんです。
でも、やっぱりすぐに疲れちゃうので、また散歩しながら面白いものはないものかと探しに回りました。
市場を発見‼‼‼‼
薄暗くて、狭くて、ちょっと汚いので
危ないような気もしましたが、これまで出会ってきたヌエバギネアの人々はみんないい人ばかりだったので、きっと大丈夫‼‼‼
トランプないかなぁ~~~~
オモチャを売っているお店にもスーパーにもなかったので、どういうお店に売っているのか見当もつきません。
なんとな~く、「ここ売ってるんじゃないか」と思うお店に尋ねます。
「トランプありますか?」
「あぁぁ~ないなぁ~~」
石鹸シャンプー日用品の売っているお店
「トランプありますか?」
「何すんの?ポーカー?あるよ!」
出されたのはケースに入っているのではなく、セロファン紙に包まれた薄っす~~~~いトランプらしきもの。
52枚あるようには全く見えません。
「これいくら?」
「10コルドバ(約40円)」
(え・・・安くない???絶対、全部入ってないでしょ!)
疑う私達
一応、お金を払い、失礼だとは思いながらもオジサンの前でセロファンをはがす。
ダイヤ1~13
ハート1~13
クローバー1~13
みつば1~13
ジョーカー2枚
全部ある‼‼‼‼‼
なんでこんな薄いの‼‼‼?
一枚一枚の紙がペラッペラでした。
「オジサン疑ってごめんね~」と言いながら、今日の目標は全て達成しました。
まだpm4時
夕飯食べるにしても早すぎるし、トランプでもして時間潰しましょうか。
大富豪をやり始めるとなかなか止まらない。
あっという間に6時になっていました。
今日の行進に付き添っていたヌエバギネアの隊員さんと合流し、ヌエバギネア最後の夜ご飯を一緒に食べます。
今日の晩御飯は揚げ物料理屋さん
ニカラグアの人々は「私にあなたの愛の揚げ物をください」という歌があるくらい揚げ物料理が大好き
ニカラグアの典型的な食べ物です。
「今日一日何してたの?」と、ヌエバギネア隊員
「う~~~ん・・・行進見て、シャボン玉して、フリスビーして、トランプしてました。」
「なんじゃそりゃ」
本当、なんじゃそりゃですね。
シャボン玉もフリスビーも結局、子ども達にあげちゃったし何してるんだろ私達
でもなんだか充実した一日
ただ一言だけ言えるのは
「楽しい一日だった」
気分によってフラフラして、お腹が空いたらおいしそうなもの探して、疲れたらコーヒー飲めそうなところを探して、また気ままにブラブラする
さぁ、明日は首都に戻る日。
ヌエバギネアからは特急バスがないので、7時間かけてのバス旅です。
3時半起床、4時出発
お陰様でバスの中ではぐっすりでした。
そうそう、電気工事のオジサンが頑張ってくれたお陰で夜は無事電気がつきました。
またこういう旅したいなぁ
2014年09月17日
ヌエバギネアnueva guineaは今日も雨 part1
9月14日サンハシント戦勝記念日
9月15日独立記念日
と、今週末は連休でした。
連休ならば‼‼‼‼
行ってきました。ヌエバギネア
首都マナグアから特急バスで5時間。普通のバスだと7時間かかります。
ニカラグア中央部には現在隊員一人。
しかもその隊員さんは今月任期を終え帰ることになっているので、今を逃すとなかなか行けない‼‼‼‼
長距離移動のため、お菓子や飲み物を買い揃えいざ出発。
5時間トイレはいけないので、飲み物は恐る恐る。。
PM1:45に首都を出発し、5時間後
辺りは真っ暗。
バスは真っ暗の中、ひたすら山道をひた走ります。
バス降りるところ間違えたらどうしよう・・・。
こんな山道でこんな真っ暗で・・・・
しかし、バスの車掌さんが優しく、降りる場所を教えてくれました。
あとは隊員さんに教えてもらったホテルに向かって人に尋ねながら歩いて行きます。
バスの通っていた道から横道に入ると、アスファルトではなく舗装のされていない道路。
うわぁ~~~~これこそ、ザ協力隊の街
ワクワク
ホテルはなかなか立派なところでキレイ‼‼‼‼‼
でも、トイレにドアはなく、布が一枚トイレとベッドルームを分けてくれます。
今回の旅に同行した先輩隊員と相部屋だったので少し気まずさはありますが、3日間トイレを我慢するわけにはいかないのでそんなことイチイチ気にしていられません。
ヌエバギネアの隊員さんと合流して、晩ごはんは公園の屋台でBBQ料理
やっぱり直火で焼く肉はうまい‼‼‼
公園から流れる賑やかな音楽と横切る人々を観察しながらゆったりと食事をしました。
途中、公園が停電し、私達のいる屋台ももちろん停電。
隣の屋台で雑貨を売るオジサンがロウソクを持ってきてくれました。
みんな優しいなぁ^^
楽しく食事をし、ホテルに戻ってみるとホテルは停電。
電気の無い中、みんなで遅くまでオシャベリをして床につきました。
翌朝、外から流れる賑やかな声で目を覚まします。
このホテル通りから見るとキレイでしたが、翌日、明るくなってピロティに出てみると、なかなかアンティークな煙突
煙突からは食事の匂いが漂い、なんだか懐かしいような気分になりました。
そこからの景色もなかなか
周囲の家は全部トタン屋根なんですね。
そこから見えた捨てられた便器もなかなかいい味だして、妖怪の住んでいそうな雰囲気が漂っていました。
さて、今日はサンハシント戦勝記念日。1856年9月14日サンハシントの丘でアメリカ出身でニカラグアの大統領になったウィリアムウォーカーを反乱軍が勝利したことを祝う日です。
ニカラグア中、今日はどの街でも公立小中学生の行進が行われます。
だから今日はここ、ヌエバギネアでも朝から賑やか。
街中を練り歩いているので、私達は散歩をして中心部に行進がやってくるのを待ちます。
ヌエバギネアの街は素朴でゆったりとした時間が流れていて、いい街でした。
特に予定もなかったので、途中露店でシャボン玉を買いました。
露店のオバサンに
「あなた達は日本人?」
と聞かれて嬉しくなります。
と言うのも、アジア系の顔を見ると普通は「中国人」と言われます。
昨日も、「君たちの仲間がディスコで踊っていたよ」
と言われたのですが、この街にいる日本人は現在、私達含めて4人。
他に日本人がいるはずもない。
きっと中国人なんだろうけど、ここの人達からすると中国人も日本人も皆同じ顔だから、同じ仲間だと思ってしまうのも無理はない。
だから真っ先に「日本人?」って聞かれるのは本当に嬉しい。
「私はアサコもカヨも知ってるよ」
と露店のオバちゃん。
アサコさんやカヨさんは協力隊員
彼女らが街の人々と話すことによって、「日本人」っていう認識が街の中に広がります。
「ウンウン、私達は彼女に会うためにここに来たんだよ。彼女も来週には日本に帰るでしょ」
と、オバサンと会話をします。
こうしてさっきまで赤の他人だったオバサンと会話が生まれる。
これまでの隊員さんの活動の賜物だなとしみじみしながら露店を去りました。
今日のやることは3つ!
①行進を見ること
②遊ぶこと
③帰りのバスの中で時間を潰すためのトランプを買うこと
この3つをクリアするためにブラブラと街をふらつきます。
のどが渇き、入ったスーパーでフリスビーを見つけたので購入します。
よし、これで今日遊ぶものをGET
お腹が空いたので公園近くでお腹を満たせるものを物色。
日本では駅周辺とかがそういう役割を担っているんだと思うんですけど、海外だと大抵公園に人が集まるのでお店も公園周辺に自然と集まります。ですから、公園に行けば確実に何か腹を満たせるものを得ることができるんです。
公園のベンチに座ってゆで卵を食べていると道の向こうから聞こえるニカラグアの曲。
行進が近づいてきました。
行進をするのは小学生~高校生
タスキには「優秀学生」と書かれています。
地域の各学校がそれぞれ独自の行進を行います。
ヌエバギネアは雨の街。
行進中も雨が降り始めてきました。
それでも勇ましく行進を続ける子ども達
日本人の私には、国旗を持ち、国の音楽と共に行進をする子ども達を見ると違和感を覚えます。
日本では日の丸持って「日本はなんて美しい国なんだ」という内容の曲と共に子ども達が行進
・・・・そんなの絶対考えられないですよね。
いいか悪いかは置いておいて、ニカラグアの人々が自分の国を誇りに思い、自国が好きという思いが強いと感じるのはきっと、子どもの頃からこうして国のことを学び国の行事の日には国旗を持って国の歌を聞く、こういう習慣があるからなんだろうなと思いました。
「愛国心」
という言葉を聞くと、日本では第二次世界大戦時の軍事教育が思い返され、拒否反応が出る方は多いかと思います。
戦争を経験していない私には、その恐怖心や「もう二度と繰り返してはいけない」という強い想いを同じように感じることはできません。
しかし、もう少し国に誇りを持ちたいという願望があります。
「私は日本人だ」と自分自身のアイデンティティを認め、肯定することが人格形成には必要なのではないかと思います。
私は海外に出て、外国人から直接「日本って凄い国だよね」
と褒めてもらえる機会があります。
その時に生まれて初めて「あぁ、日本人でよかった」
と自分の国を誇りに思います。
その時の喜びは「あなたいつも仕事頑張って偉いね」
と個人を褒められる喜びと同じです。
私にはそれを感じる機会がありますが、日本国内だとなかなかそういう機会はありません。
「私は日本人なんだ。日本に生まれて良かった」
と嬉しく思う気持ちは誰にでも持っていいものだと思います。
それを感じることで自分自身を認めることができるのですから。
海外にいる私が感じたような「日本人であることの喜び」や自己肯定感をこうして少しでも発信できたらいいな・・・・。
とは思っているんですけど、なかなか難しいですね。
とにかく、こうして「日本って凄い国だよね。いい国だよね。」と他国の方々に言ってもらえるのは、これまでのそして今でもそれぞれの分野で一生懸命頑張っている日本人がいるから。
私も海外に住むからには「日本っていいね」って思ってもらえるよう自分の行動には責任を持たなきゃ・・・・。
につづく
9月15日独立記念日
と、今週末は連休でした。
連休ならば‼‼‼‼
行ってきました。ヌエバギネア
首都マナグアから特急バスで5時間。普通のバスだと7時間かかります。
ニカラグア中央部には現在隊員一人。
しかもその隊員さんは今月任期を終え帰ることになっているので、今を逃すとなかなか行けない‼‼‼‼
長距離移動のため、お菓子や飲み物を買い揃えいざ出発。
5時間トイレはいけないので、飲み物は恐る恐る。。
PM1:45に首都を出発し、5時間後
辺りは真っ暗。
バスは真っ暗の中、ひたすら山道をひた走ります。
バス降りるところ間違えたらどうしよう・・・。
こんな山道でこんな真っ暗で・・・・
しかし、バスの車掌さんが優しく、降りる場所を教えてくれました。
あとは隊員さんに教えてもらったホテルに向かって人に尋ねながら歩いて行きます。
バスの通っていた道から横道に入ると、アスファルトではなく舗装のされていない道路。
うわぁ~~~~これこそ、ザ協力隊の街
ワクワク
ホテルはなかなか立派なところでキレイ‼‼‼‼‼
でも、トイレにドアはなく、布が一枚トイレとベッドルームを分けてくれます。
今回の旅に同行した先輩隊員と相部屋だったので少し気まずさはありますが、3日間トイレを我慢するわけにはいかないのでそんなことイチイチ気にしていられません。
ヌエバギネアの隊員さんと合流して、晩ごはんは公園の屋台でBBQ料理
やっぱり直火で焼く肉はうまい‼‼‼
公園から流れる賑やかな音楽と横切る人々を観察しながらゆったりと食事をしました。
途中、公園が停電し、私達のいる屋台ももちろん停電。
隣の屋台で雑貨を売るオジサンがロウソクを持ってきてくれました。
みんな優しいなぁ^^
楽しく食事をし、ホテルに戻ってみるとホテルは停電。
電気の無い中、みんなで遅くまでオシャベリをして床につきました。
翌朝、外から流れる賑やかな声で目を覚まします。
このホテル通りから見るとキレイでしたが、翌日、明るくなってピロティに出てみると、なかなかアンティークな煙突
煙突からは食事の匂いが漂い、なんだか懐かしいような気分になりました。
そこからの景色もなかなか
周囲の家は全部トタン屋根なんですね。
そこから見えた捨てられた便器もなかなかいい味だして、妖怪の住んでいそうな雰囲気が漂っていました。
さて、今日はサンハシント戦勝記念日。1856年9月14日サンハシントの丘でアメリカ出身でニカラグアの大統領になったウィリアムウォーカーを反乱軍が勝利したことを祝う日です。
ニカラグア中、今日はどの街でも公立小中学生の行進が行われます。
だから今日はここ、ヌエバギネアでも朝から賑やか。
街中を練り歩いているので、私達は散歩をして中心部に行進がやってくるのを待ちます。
ヌエバギネアの街は素朴でゆったりとした時間が流れていて、いい街でした。
特に予定もなかったので、途中露店でシャボン玉を買いました。
露店のオバサンに
「あなた達は日本人?」
と聞かれて嬉しくなります。
と言うのも、アジア系の顔を見ると普通は「中国人」と言われます。
昨日も、「君たちの仲間がディスコで踊っていたよ」
と言われたのですが、この街にいる日本人は現在、私達含めて4人。
他に日本人がいるはずもない。
きっと中国人なんだろうけど、ここの人達からすると中国人も日本人も皆同じ顔だから、同じ仲間だと思ってしまうのも無理はない。
だから真っ先に「日本人?」って聞かれるのは本当に嬉しい。
「私はアサコもカヨも知ってるよ」
と露店のオバちゃん。
アサコさんやカヨさんは協力隊員
彼女らが街の人々と話すことによって、「日本人」っていう認識が街の中に広がります。
「ウンウン、私達は彼女に会うためにここに来たんだよ。彼女も来週には日本に帰るでしょ」
と、オバサンと会話をします。
こうしてさっきまで赤の他人だったオバサンと会話が生まれる。
これまでの隊員さんの活動の賜物だなとしみじみしながら露店を去りました。
今日のやることは3つ!
①行進を見ること
②遊ぶこと
③帰りのバスの中で時間を潰すためのトランプを買うこと
この3つをクリアするためにブラブラと街をふらつきます。
のどが渇き、入ったスーパーでフリスビーを見つけたので購入します。
よし、これで今日遊ぶものをGET
お腹が空いたので公園近くでお腹を満たせるものを物色。
日本では駅周辺とかがそういう役割を担っているんだと思うんですけど、海外だと大抵公園に人が集まるのでお店も公園周辺に自然と集まります。ですから、公園に行けば確実に何か腹を満たせるものを得ることができるんです。
公園のベンチに座ってゆで卵を食べていると道の向こうから聞こえるニカラグアの曲。
行進が近づいてきました。
行進をするのは小学生~高校生
タスキには「優秀学生」と書かれています。
地域の各学校がそれぞれ独自の行進を行います。
ヌエバギネアは雨の街。
行進中も雨が降り始めてきました。
それでも勇ましく行進を続ける子ども達
日本人の私には、国旗を持ち、国の音楽と共に行進をする子ども達を見ると違和感を覚えます。
日本では日の丸持って「日本はなんて美しい国なんだ」という内容の曲と共に子ども達が行進
・・・・そんなの絶対考えられないですよね。
いいか悪いかは置いておいて、ニカラグアの人々が自分の国を誇りに思い、自国が好きという思いが強いと感じるのはきっと、子どもの頃からこうして国のことを学び国の行事の日には国旗を持って国の歌を聞く、こういう習慣があるからなんだろうなと思いました。
「愛国心」
という言葉を聞くと、日本では第二次世界大戦時の軍事教育が思い返され、拒否反応が出る方は多いかと思います。
戦争を経験していない私には、その恐怖心や「もう二度と繰り返してはいけない」という強い想いを同じように感じることはできません。
しかし、もう少し国に誇りを持ちたいという願望があります。
「私は日本人だ」と自分自身のアイデンティティを認め、肯定することが人格形成には必要なのではないかと思います。
私は海外に出て、外国人から直接「日本って凄い国だよね」
と褒めてもらえる機会があります。
その時に生まれて初めて「あぁ、日本人でよかった」
と自分の国を誇りに思います。
その時の喜びは「あなたいつも仕事頑張って偉いね」
と個人を褒められる喜びと同じです。
私にはそれを感じる機会がありますが、日本国内だとなかなかそういう機会はありません。
「私は日本人なんだ。日本に生まれて良かった」
と嬉しく思う気持ちは誰にでも持っていいものだと思います。
それを感じることで自分自身を認めることができるのですから。
海外にいる私が感じたような「日本人であることの喜び」や自己肯定感をこうして少しでも発信できたらいいな・・・・。
とは思っているんですけど、なかなか難しいですね。
とにかく、こうして「日本って凄い国だよね。いい国だよね。」と他国の方々に言ってもらえるのは、これまでのそして今でもそれぞれの分野で一生懸命頑張っている日本人がいるから。
私も海外に住むからには「日本っていいね」って思ってもらえるよう自分の行動には責任を持たなきゃ・・・・。
2014/09/17
につづく