2015年06月11日
三角形の公式
雨の季節になった。
ニカラグアは今、冬。
冬と言っても、雨が降って涼しくなるくらいで、日本の「冬」とはかけ離れていて
季節と言うか、雨季なので雨ばかり。
唯一のお出かけ用の靴をドシャ降りで濡らしてしまったので、島ぞうりで授業。
それはそれで粋だ、と思っているのは私だけで
通り行く人の目線が痛い。
こないだ、授業の一環でクイズ大会をやった。
学生達には5点問題、10点問題、20点問題、30点問題、50点問題の5問を用意してもらって、回答者は答えられそうな問題を出してくれそうな人を指名し、答えることができたらその点数をもらえる、というルール
ある学生が20点問題で
「2kmは何mですか?」
という問題を出した。
「これ、5点問題だろ。」と思っていたのは私だけ。
回答者はニカラグア国立大学を卒業した、ニカラグアでは高学歴にあたる学生。
「800mでしょうか。」
・・・・・・・・・。
愕然としました。
それから、30点問題
「三角形の公式は分かりますか」
「・・・・・。」
答えが分かると言ったのは一人だけ。
「え?????本当に知らないの????」
私があまりにも大げさに驚くので
「先生、じゃ知っているんですか?」
いやいや、小学生の問題ですよ。
私は常々、学生達は賢いなぁ、私は彼らのように外国語をどんどん吸収することはできない・・・。と羨望の眼差しで彼らを見ていたから、なおさら驚きだった。
ニカラグアではJICAが2006年から算数指導力向上プロジェクトを実施していて、小学校教員の指導、指導案の提供、日本の算数指導に則った教科書の作成等行ってきている。
2015年までのプログラムなので現在は小学校教諭隊員は一人しかいないが、昨年は5人の小学校教諭隊員がおり、指導力向上に奮闘していた。
そういった隊員さんから、「ひどいよ~~まず、先生が分数を理解していないんだから」と嘆いていたのを思い出した。
ニカラグアに限らず、多くの国であることなのだと思うんだけど、子ども達に気づきや自分で答えを導き出す方法を示すのではなく、問題と答えだけを与える教え方。
そういう教え方をしているから、子ども達は自分で思考することができず、解ける楽しさに気づくことができない。
だからきっと、学生達も本当は習っているはずなんだけど、覚えていないんだよな~
私は小学校の時、先生達が試行錯誤して教えてくれていたから、発見、気付きの連続で解ける楽しさに出会えて勉強するのが楽しかった。
でも、ニカラグアの子ども達は、そういう教育の仕方をされていないんだよな~・・・。
でも、私は学生達に「思考力がない」と思ったことはあまりない。
(時々、数名の学生に対して思うことはあるけど、それは別に個々の問題であって、ニカラグアの若者が・・という数ではない)
むしろ、何も言っていないのに自分で復習すべき箇所を理解して、しっかり家で復習して学習した内容を自分のものにしているな、凄いなと感じる。
教師がポイントだけを授業で言い放ち、それを家に持ち帰って自分で自分の中に落とし込む。そういう訓練ができているように思う。
教師が授業の中で習得する道筋を構成しないが故に子ども達が自身で授業に足りなかった部分を自宅で補う。
ニカラグアの教師達の問題は悪しくも子ども達の学習力を培ったんだろうな、と思うことがある。
しかし、それは本当に一部のできる子ども達だけ。
その方法では国全体の一般教養の底上げを図ることは甚だ難しい。
日本語教師という職業上、あまりニカラグアの社会問題に関わることは少ないけど、改めて考えさせられる。
日本がどれだけ恵まれている国か。
そして、ニカラグアの教育が改善されるためにはどうすればいいのか。
もう、むしろ日本の教育基本法をそのまま持ち込んで使えばいいのに。
いや、それは内政干渉か。
というか、本当に日本の教育の方が良いのだろうか。
三角形の公式ができなかっただけで、ニカラグアの教育が悪いと言えるのだろうか。
でもよく学生達に「こんなに学生のことを想ってくれる先生に出会ったことがない」と言われる。
そして、前任の先生もよく言われていた。
正直、私はただの言語教師という位置づけで、そこまで学生達に関わっているつもりはないのだけど、小学校や中学校の先生達はもっと子ども達に関わっているはず。それなのに「こんな先生に出会ったことない」と言うのは、一体、どういう関わり方をされてきたのだろうか、と疑問。
・・・・と、ここまで考えて
ニカラグアの教育の前に、今日の授業のこと考えなきゃ。
ニカラグアは今、冬。
冬と言っても、雨が降って涼しくなるくらいで、日本の「冬」とはかけ離れていて
季節と言うか、雨季なので雨ばかり。
唯一のお出かけ用の靴をドシャ降りで濡らしてしまったので、島ぞうりで授業。
それはそれで粋だ、と思っているのは私だけで
通り行く人の目線が痛い。
こないだ、授業の一環でクイズ大会をやった。
学生達には5点問題、10点問題、20点問題、30点問題、50点問題の5問を用意してもらって、回答者は答えられそうな問題を出してくれそうな人を指名し、答えることができたらその点数をもらえる、というルール
ある学生が20点問題で
「2kmは何mですか?」
という問題を出した。
「これ、5点問題だろ。」と思っていたのは私だけ。
回答者はニカラグア国立大学を卒業した、ニカラグアでは高学歴にあたる学生。
「800mでしょうか。」
・・・・・・・・・。
愕然としました。
それから、30点問題
「三角形の公式は分かりますか」
「・・・・・。」
答えが分かると言ったのは一人だけ。
「え?????本当に知らないの????」
私があまりにも大げさに驚くので
「先生、じゃ知っているんですか?」
いやいや、小学生の問題ですよ。
私は常々、学生達は賢いなぁ、私は彼らのように外国語をどんどん吸収することはできない・・・。と羨望の眼差しで彼らを見ていたから、なおさら驚きだった。
ニカラグアではJICAが2006年から算数指導力向上プロジェクトを実施していて、小学校教員の指導、指導案の提供、日本の算数指導に則った教科書の作成等行ってきている。
2015年までのプログラムなので現在は小学校教諭隊員は一人しかいないが、昨年は5人の小学校教諭隊員がおり、指導力向上に奮闘していた。
そういった隊員さんから、「ひどいよ~~まず、先生が分数を理解していないんだから」と嘆いていたのを思い出した。
ニカラグアに限らず、多くの国であることなのだと思うんだけど、子ども達に気づきや自分で答えを導き出す方法を示すのではなく、問題と答えだけを与える教え方。
そういう教え方をしているから、子ども達は自分で思考することができず、解ける楽しさに気づくことができない。
だからきっと、学生達も本当は習っているはずなんだけど、覚えていないんだよな~
私は小学校の時、先生達が試行錯誤して教えてくれていたから、発見、気付きの連続で解ける楽しさに出会えて勉強するのが楽しかった。
でも、ニカラグアの子ども達は、そういう教育の仕方をされていないんだよな~・・・。
でも、私は学生達に「思考力がない」と思ったことはあまりない。
(時々、数名の学生に対して思うことはあるけど、それは別に個々の問題であって、ニカラグアの若者が・・という数ではない)
むしろ、何も言っていないのに自分で復習すべき箇所を理解して、しっかり家で復習して学習した内容を自分のものにしているな、凄いなと感じる。
教師がポイントだけを授業で言い放ち、それを家に持ち帰って自分で自分の中に落とし込む。そういう訓練ができているように思う。
教師が授業の中で習得する道筋を構成しないが故に子ども達が自身で授業に足りなかった部分を自宅で補う。
ニカラグアの教師達の問題は悪しくも子ども達の学習力を培ったんだろうな、と思うことがある。
しかし、それは本当に一部のできる子ども達だけ。
その方法では国全体の一般教養の底上げを図ることは甚だ難しい。
日本語教師という職業上、あまりニカラグアの社会問題に関わることは少ないけど、改めて考えさせられる。
日本がどれだけ恵まれている国か。
そして、ニカラグアの教育が改善されるためにはどうすればいいのか。
もう、むしろ日本の教育基本法をそのまま持ち込んで使えばいいのに。
いや、それは内政干渉か。
というか、本当に日本の教育の方が良いのだろうか。
三角形の公式ができなかっただけで、ニカラグアの教育が悪いと言えるのだろうか。
でもよく学生達に「こんなに学生のことを想ってくれる先生に出会ったことがない」と言われる。
そして、前任の先生もよく言われていた。
正直、私はただの言語教師という位置づけで、そこまで学生達に関わっているつもりはないのだけど、小学校や中学校の先生達はもっと子ども達に関わっているはず。それなのに「こんな先生に出会ったことない」と言うのは、一体、どういう関わり方をされてきたのだろうか、と疑問。
・・・・と、ここまで考えて
ニカラグアの教育の前に、今日の授業のこと考えなきゃ。